12/08/2012

言語学習とは

道である、と思う。




いきなり何をクレイジーな事を言い始めたのかと思われるかもしれないが、最近思うことだ。

外国語学習は、よくスポーツに例えられる。
スポーツの結果が、地道な筋肉トレーニングや走り込みによって、少しずつ少しずつ向上するように、
外国語学習もまた、地道な単語学習や文法学習によって、少しずつ少しずつパフォーマンスが向上していくものである、と。怠ければ鈍る。

その中でも、僕は(外国語を含めた)言語学習一般は「道」だと思う。
これを言うと「道」と「スポーツ」の違いは何か、という話になって、「道」の人からも「スポーツ」の人からも怒られそうだが、個人的には「結果」以上の何か、「競争」以外の何かを求めるのが「道」だと思う。一つの形(かた)や動きから、目に見えない精神世界に至るまでを徹底的に洗練し、あるかどうかも分からない「悟り」とか「神髄」を求め続ける。それが「道」ではないか、と。


言語学習に、終わりはない。母国語とて、僕より遙かに上手な日本語の使い手は日本に星の数ほど存在するはずだ。日本語の上手な作家が紡ぐ、ことばの言い回し、バランス、韻、リズムが徹底的に考え抜かれた文章は、文字通り読者を「ハッ」とさせる。

99%文法を正しく扱え、ネイティブスピーカーと同程度の語彙力を持つことがスタートライン。
そこからも、果てのない学習の道が続いていく。


僕は今、英語においてその道を進もうとしている。


ネイティブスピーカーと「なんとかコミュニケーションを取」って、「異文化コミュニケーションを楽しむ」だけの時期はとうに過ぎた。ことばを自在に操り、ニュアンスを感じ取り、混ぜ込むレベルまで達する。次のレベルの異文化コミュニケーションへ。



僕は今、その道を進もうとしている。