10/01/2014

新ブログ

ご無沙汰です。
なんだかんだありましたが、無事中国に居ます。
新しいブログを立ち上げてみましたので、ご興味おありの方は、是非ご覧下さい。
↓↓


これからも、大学院留学の情報で追加出来る事があれば、こちらのブログの「NOTES」を更新していきたいと思います :)

9/11/2014

How's your life going?

アメリカから去って一月半。一月半しか経っていないけれど、すでに彼の地で親しかった友人たちと、"How's your life going?"というメールやメッセージのやり取りを何通かしている。あっちからも、こっちからも、よく送る。

多分、「最近どう?」というメールやメッセージを、日本人に日本語で送ったことは数えるほどしかない。一年交換留学した外国人に、彼らが去ってから一月半の間に「最近どう?」というメッセージを送ったことも、ない、と思う。

これが文化差なのか、僕個人の問題なのか、あるいはその両方なのかはよく分からない。でも絶対そういうやり取りはあった方が良いよなと思ったし、アメリカの方がそういう行為をより多くの人が、より「自然」に行っていることは間違いない。あの国はそういう意味で温かい国だなと改めて思う。そういうところが好きだ。

そんな小さな気づき。



9/10/2014

プロとして

先日、待ちに待った、大学と中国政府からの招聘状が届いた。ビザの申請も問題なく出来たので、これでいよいよ本当に全てが決定した。今週出国。

ということは、これで僕は大学の英語講師になる。大学の英語講師になるという事は、英語を教える事だけでおまんまを頂くということであり、言ってしまえば英語教育のプロフェッショナルだ。
英語教育のプロとして、その責務について考えて書き始めたら、論文一本書ける位の長さになりそうだったので、途中まで書いてやっぱりやめることにした。笑 どうしても今言っておきたい事だけ書いておく。

この世の中に英語を教えられる人は星の数ほど居て、それ故「そんなに大した事じゃないやい」とか「やろうと思えば自分にも出来る」と言われがちなのがこの職業だと思っている。おまけにことばの習得には時間がかかるので、短期間ではプロと似非プロの教育効果に大差は見られない。

けれど、英語教育は多彩で奥が深い。ことばの学習自体が大変複雑なプロセスである上、ことばで出来る事も無限大だからだ。得てして学習者は「英語学習」を一枚岩で捉えてしまうが、その実、彼や彼女の興味関心はコミュニケーションにあるかもしれないし、統語論にあるかもしれないし、音声学かもしれないし、受験や昇進にあるかもしれない。「ことば」とは言語学、音声学、社会学、社会言語学、人類学等々、分野横断的に扱われるから、そのアプローチ方法はまさに無限大。さらにコミュニケーションが目標であるにも関わらず統語論のアプローチを好んだり、受験勉強のために英語を勉強しているはずが、社会言語学の話をした方が学習能率が上がったりする人も居るからややこしい。この辺りは、個人のバックグラウンドで大きく異なる。

要は、英語学習とは決して一枚岩ではない。だからこそ、学習者が発する「それ面白い!」という一瞬の瞳の輝きに敏感に反応して話を膨らませたり、情報を与えたり、アプローチ方法を変えたり出来るようになれば、学習効率は上がる、と信じている。またそれが、プロと似非プロを分けるのだと信じたい。
英語教育ごとき出来る人はたくさんいるのかもしれない。でも授業中の一挙手一投足、言葉の端々に「さすがプロだなぁ」と思わせる何かを見つけて、磨いていきたい。それによってより多くの人の学習目標が達成できるのなら、尚更。



8/31/2014

NOTES

出願書類について」を公開しました。

会わねば。

日本に帰ってきてからおよそ1ヶ月。スーツケースの中身を考えながら過ごす夏は、これで3年目だ。
この夏は、「お礼参り」の旅をたくさんした。お世話になった研究室や先生方に修了と就職のご報告。過去へのけじめと、未来への一歩。皆温かく迎えて下さり、「ハワイはどうだった?」「中国の話を聞かせてね」なんて世間話。積もる話をして、酒を酌み交わす。名残を惜しんで「また是非お話しましょうね」と言って別れる。話の流れでお土産を頂いたり、お仕事を頂いたり、人を紹介して頂いたり。
今の時代お礼のメール一本書くのは造作も無いことだが、それでは「つながり」は希薄になるし、こういう「頂き物」も出来ないだろうし、何より誠意がないから気に食わない。

ありきたりかもしれないが、やはり人には会わねば始まらないと思う。Facebookでどんなに近況報告を見ていても、会って話すのとは全然違う。デジタルで手軽な手段は、会えない時間を埋めるために存在している、と考えたい。

世界を飛び回るからこそ、会いたい人には、やはり会わねば。


8/24/2014

life is やっぱり random.

色々と、報告しなければならない事がある。ランダムに色々起こったので。

まず、論文が受理され、無事に修士号を取得することが出来た。論文締め切りの2週間前に査読者を変えるとか、まぁそれなりにハプニングは起こったのだけれどなんとか提出する事が出来た。気分が向いたら2年間のまとめを書こうと思っている(けど、前に回顧録を書くとか意気込んでいた気もするが、一向に気が向かないからなぁ(笑))。

もう一つは卒業後の進路について。これについては順を追って書かねばなるまい。
実は前回のエントリー(2ヶ月も昔か・・・)で「job huntに関しては上手くいっている」と書いたとき、僕はとある大学からsummer jobの内定をもらっていた。6月末から9月4日までの契約で英語を教える予定だった。

ところが、
人生はランダム。


内定をもらってから数日後、授業開始の4日前に僕がSSN(Social Security Number)を持っていないことが大問題であると判明。SSNについての詳しい説明は省くが、とにかくそれがないと合法的には働けないのだという(ITINじゃあかんのか?)。ということで、とにかく八方手を尽くしたが万事休す。その二日後、授業開始の2日前に僕は一度得たはずの職を失った。

教科書ももらって、新人(?)研修も出て、自己紹介もしたのに、失った。


でも全然気にしてなかった。もう人生こんな事だらけだから慣れてる。


その大学での職を失った数日後、「あぁ俺これから先どうやって生きていこう」と至極不真面目に考えているさなかに、中国の大学の英語講師の枠に応募した。こちらは一年契約(更新制)の常勤講師。通常東アジアの大学英語講師枠は「ネイティブスピーカーに限る」という(胸くそ悪い)制限がつくのだが、その大学は「ネイティブスピーカーまたは英語の堪能な外国人」という枠だったので、割と軽いノリで応募した


ら、受かった。
ランダム。

奇しくも内定通知は論文受理の通知と同日だったので、職と卒業が同時に決まった。7月1日は特別な日になりそう。

ついでに言っておくと、仮に僕がSSNを持っていて、仮にアメリカの大学でのsummer job(非正規雇用)を受けて9月4日まで働いてしまっていたら、9月1日付けで始まる中国の大学正規講師の枠を逃した事になる。SSNを持っていないがためにより大きな魚を獲られたわけだ。不思議なご縁である。

まぁとにかく、次の舞台が中国に決まった。




・・・と、本来ならここでこのエントリーを投稿する予定だった。一ヶ月も前に。
その一ヶ月の間に何があったのか。


事もあろうに、向こうの大学と音信不通になったのである。


中国の大学から内定をもらった直後から、僕は向こうの秘書と連絡を取り合い雇用契約・労働ビザ関係の話を進めていた。それが、7月の半ばにぷっつり途切れたのである。
メールが返ってこない。学部にも、大学そのものにも電話が通じない。大学にメールを送るとエラーが返ってくる(!)。意を決して在中国日本大使館に電話すると、日本語も英語も通じない(!!)。

僕は詐欺の可能性を疑い始めた。お金は払っていないものの、個人情報は渡す事になっている。
そして一度疑い始めると全てが悪い方に筋が通る。

東アジア地域(それも国立大学!)でノンネイティブを英語講師として雇ったのも、
面接の2日後に採用が決まったのも、
妙に待遇が良いのも(保険・航空券・住居費など全てカバーされてかつ有給のバケーションつき)、
大学と連絡がつかないのも、
jobの広告に出ていたProfessorを名乗る人物が全くインターネットに引っかからないのも、

全て筋が通る。お金を払わない以上、こんな手の込んだ詐欺はメリットが少なすぎるから可能性は低いと思ったが、しかしあり得ない話では無い。

僕はこの大学の採用が決まった時点でハワイを引き上げてしまったので、ビザの都合上もうハワイに帰る事は出来ず、もし仮にこれが全て壮大な嘘っぱちだったら、塾の講師でもやって食いつなぐしか無い。いくらランダムな人生に慣れているとはいえ、さすがに参ってしまった。


悶々と一月も考えて居たところ、ある日の午前2時頃、"I'm so sorry for the late reply..."という文で始まる秘書からのメールが来た。"due to the limited access to the Internet while I was attending meetings and on vacation..."



ん?

on vacation?



on vacation?




on vacation?


突如として消息を絶ち、3週間外界とのアクセスを遮断する。なるほどvacationとはかくあるべきか。
まぁ、いずれにせよ連絡は再開し、僕のcross-cultural toleranceはもう一段階上に達した気がした。今は向こうの大学からの書類待ちの段階(来るといいなぁ)。



これから先、授業が始まるまでに何が起こるかまだまだ油断は出来ないけれど、もしきちんと職が用意されているのならば、こんなに楽しみな事は無い。また英語を教えられる事が楽しみなのはもちろん、日本人が中国で英語を教えるという奇妙なシチュエーションが、面白くないわけがない。その様子をこのブログにアップするのか、別のブログを立ち上げるのか、あるいは全くアップしないのかは分からない。けれどこれからも「世界の中の日本の英語教育」をいつも頭の片隅に置きつつ、僕は楽観的に、真剣に、地球上のどこかで生きているのだと思う。



6/23/2014

life is...

一月ほど前に、卒業式に出席した。
論文を仕上げるために卒業を夏まで延ばしたので、学位はまだだが、とりあえず2年間のコースワークを終えたということで。


留学準備も、留学中も、苦しいことがたくさんあった。涙を流したいほど悔しい思いを何度も経験して、自分の力不足や現実にぶち当たり、手の届かない存在に何度も出会っては自分の存在価値に疑問を持つ日々だった。


でもまあ今思い返してみると、


うん。やっぱり辛かった。笑


それは今もまだ留学が続行中で、自分の成長が分からないからかな、と思うのだけれど。

ただとりあえず、「言葉について何不自由なく生活出来るって、もうそれだけで人生イージーモードだよな」という境地には至った。笑 不思議なもので、だから「日本に帰りたい」とは思わなくて、だから「もっと自分を苦しめたい」「別の言語と国でこの感覚を味わいたい」と思っている。マゾ。


さて、なぜ一ヶ月も前の卒業式の話を今持ってきたかというと、はっきり言ってそれどころじゃなかったからだ。卒業式とか余計なプレッシャーでしかなかった。笑
4月の末から、研究助成への応募、job applicationの開始、学期末に向けたプレゼンとterm paperの準備・執筆、卒業と研究に際するペーパーワーク、そしてもちろん論文と、すべてが一気に降りかかった。4月末~5月二週目までは、本当によく病気にならなかったという位精神的に追い詰められていた。その忙しさは形を変えつつ今も続いていて、きっと社会に出たらこんな感じが続くのかなと思ったり(あぁ一生アカデミアにいてぇ)。

job huntに関してはなんとか上手くいっているようで、論文も昨日何度目かのドラフトを教授に送ったので今この瞬間は少し落ち着いている。
論文の締め切りはなんと10日後なので、これからまた忙しくなるわけだが、同時にこの辛く忙しい大学院生生活もあと10日で終わりを迎える。


さて、次のステージはどこになることやら。
実はまだはっきりしていない。

Life is random.

それで良いか、と。


5/12/2014

NOTES

昨日の今日ですが、「学費と奨学金」のページの「学費」について、大幅に加筆・修正しました。

5/11/2014

4/24/2014

国際交流の思い出

何となく、思い出したことを書こう。



あれは、大学一年の頃だ。

僕が大学一年の頃から所属していた国際交流サークルは、新しく日本に来た交換留学生のお世話をしたり、留学生と日本人が一緒に楽しめるイベントを作ったりするのが主な目的で、そうした活動を通じて、僕は当時一人のフィンランド人と仲良くなっていた。

彼は僕よりも一つ年上で、笑顔が素敵な皮肉屋さんだった。笑
留学生にはありがちだが、彼もまた「日本の女の子はカワイイですねー」とか「この街のred-light area(分からない人は調べて笑)はどこですか」とか「日本のアニメは・・・」とかなんとか色々話してた。優しくて面白くて、そして少しニヒルな感性を持ち、感情的な奴だった。


2008年の僕の誕生日。
その日はサークルの友人たちに、ちょっとしたホームパーティを開いてもらった。本当にちょっとした物で、ただみんなでご飯を食べただけの、単なる宅飲みに近かった。
誕生日が終わって数日後、僕と、サークルの友人、そしてそのフィンランド人と学食でご飯を食べていた。当時僕とそのサークルの友人は英会話に楽しみを覚えたばかりだったので、その日はみんな英語で会話していた。

どういう拍子だったか、彼が言った。

「誕生日には、ホームパーティがあったんでしょ?」

僕は答えた。

「うーん、まぁ、あったよ」

僕はそのあと、「でも小さなもので、パーティじゃなくて誕生日にかぶせてみんなで飲んだだけ。」というような旨を続けたかったのだが、彼がさえぎった。




Without me. We are not friends any more.




ハッとした。
彼を見た。
眼から涙がこぼれていた。


分からなかった。
いや、なんとなく頭で理解はしたけど、「そんなに感情的になることなのか?」と問わずにはいられなかった。宅飲みに友だちを誘ったり誘わなかったりというのはよくある話で、それは友人関係とイコールではないじゃないか、そんな事は当たり前じゃ無いか、と。




今、外国で数ヶ月過ごし、言葉の壁にぶつかり、乗り越え、またぶつかっている僕には、やっと彼の気持ちが分かる。
異国で言葉の壁にぶつかる人間が、ネイティブの友人を作る事がどれほど大変で、やっと出来た(と自分では思った)友人から誘われない事がどれだけ悲しいか。自分と異国とをつなぐゲートキーパーが—たった数人のそのゲートキーパーが—自分専用ではないと理解する瞬間。それは自分が本当に独りぼっちに思える瞬間なのだ。


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追記:実はこのエントリーは、今から一年も前に「下書き」として未完のまま放置されていたものだ。今見直して、加筆して、公開してみた。
友人が自分専用ではないというのは当たり前の事なんだけど、本当に独りで生活しないといけない時、「やっと出来た友だち」の価値はすごく大きくて、依存度が高まる。でもその気持ちは経験してみないとなかなか分からない。

僕はこのサークルに居たときから、国際交流(「交流」一般とも言える)を勝手に「異なる文化背景を持つ人々が、感情を共有する行為」と定義している。国際交流とは3F(Food/Festival/Fashion)のような表層交流ではなくて、「違うけど同じ」を文字通り「実感」する行為だと。だから、時に「国際交流」はすごく時間がかかる。僕にとって、彼との国際交流は4年かかったわけだ。

これを書いたのは2013年の5月くらいだから、ちょうどハワイに慣れてきて、insiderとしての自分とoutsiderとしての自分の気持ちが入り乱れていた時だと思う。今となっては友だちは沢山いるし、こっちから飲みに誘ったりも出来る。ハワイ大学の院生として、insiderだなと思える。それは嬉しいけれど、だからこそ忘れてしまう事もあるのだ。今では書けない、当時の素直な気持ちがこの「下書き」に表れている気がした。



4/18/2014

たくさんのはじめて

修士課程が終わりに近づいてきて、同時に新しい生活の準備が始まっていて、たくさんの「はじめて」を経験している。修論も、職探しも、職探しのためのペーパーワークも、新しい家探しも、卒業に際するペーパーワークも。

ストレスではあるけど、とても刺激的だ。
何にしても「はじめて」はとても緊張するし、精神的な負担も大きい。けれど、マンネリ化した生活を活性化させてくれるから嫌いではない。

「はじめて」が嫌いでは無いのは、同時に、アメリカにいるからだな、とも思う。つまり今まで英語を使わなかった分野で英語を使うから。そして今まで触れなかった側面の「アメリカ」に触れるから。
銀行に電話をしたり、職探しをしたり、面接を受けたり、雑務をこなしたり。日本で「勉強した英語」から離れて、「ああ、今英語を使っているな」って思えるから。自分の居場所である寮や教室やキャンパスを離れて、新しい世界を開拓していくから。

この前成長は目に見えないと書いたばかりだけど、こんな風に自分でも分かる成長もある。今、毎日が目まぐるしくて楽しく感じる。


今日もまた、「はじめて」に向かう

4/15/2014

最後のプレゼンテーション

2週間ほど前に、とある授業でプレゼンがあった。一授業(3時間)まるまるプレゼンテーションという鬼畜ぶり。テーマは"Reflective Teaching"。つまり、教師としての「自省」という行いについて。
終わってから気がついたのだけれど、修士課程としては2年間で最後のプレゼンだった。

先週、教授からの評価シート+クラスメートからのfeedbackが返ってきた。
教授からの評価は40/40、つまり満点。"You did an excellent job"とのコメント。クラスメートからのfeedbackにも"excellent", "I really liked your seminar"というコメントがあって、"What was the weakness of the presentation?"という質問には、空白か、"None!"というコメントしかなかった。

僕が初めて授業でプレゼンをしたのは1年半前、社会言語学の授業だった。テーマは「日本の英語イデオロギー」。20分のプレゼンのために、緊張と準備不足で2時間ほどしか眠れず、前日からレッドブルを3本入れて臨んだのを覚えている(というか、レッドブルを10時間ごとに一本注入し続けたら、眠れなくもなるか)。それでも、僕は日本語でのプレゼンには多少自信があったものだから、日本語でプレゼンしている姿と、英語でたどたどしくプレゼンをしている自分とのギャップに泣きそうなほど悔しい思いをした。教授の優しいfeedback ("Generally you seemed very comfortable and wellversed in your topic")が逆に傷をえぐった事もよく覚えている。



そして1年半が経った今、3時間のプレゼンをこなして"excellent"と言って貰える仕事が出来る。自分でも、「悪くないプレゼンだったな」と思える。もちろん反省点は沢山あったけれど。



成長は自分では見えづらいけれど、逃げずに努力を続けて良かったなと思う。
これからも、悔しさの合間にほんの一瞬訪れる嬉しさの為に、努力を続けたいなと思う。そしてそれを、自分の生徒に伝えたいなと思う。




4/10/2014

無題

あっという間に、前回投稿したのが12月になっていた。笑
2月くらいに、試しにTwitterを始めてみたら、そっちのが向いていたみたいで、そっちに心を奪われてしまった。笑
と言っても僕の知人・友人でも、僕がTwitterにいるとは知らない。Twitterを始めた理由は、単純にどこでも思いついた事をメモ出来て、かつどこからでも閲覧できるのがいいなと思ったからに過ぎない。だから、フォロワーもフォローもほぼゼロだし、TLなんて見てない。笑
僕はかなり移り気なので、ブログのように読者を想定して、筋の通った文章を書いて、推敲して、というよりも、Twitterのように次から次へとアイディアを乱発する方が向いているようだ。


まあそれはともかく、早いものであの泣きたかった2012年の出願から、2年経ってしまった。あんなに頑張ったiBTもexpireしやがった。
何もかも早い。早すぎる。もう修了だ。

というわけで、今回顧録を書いています。若干、またはかなり、思い出補正がかかっているかもしれませんが、2年間で悩んだことや思った事を書き上げています。
世界のどこかの誰かのためになりますよう。

12/15/2013

コンフォートゾーンと成長の話

今日はちょっと哲学チックな話。

前も書いたが、僕は結構ひねくれている。人の言う「当たり前」を当たり前に受け入れたくない傾向が強い。

ということで、今日はひねくれたコンフォートゾーンの話。


人は言う。「成長するためには、自分のコンフォートゾーンから出る必要がある」と。
賛成だ。異論はない。多分、僕はハワイで言葉の壁にぶつかって、研究に苦しめられて、大変成長していると思う。


けれど、だ。
僕は、この世にコンフォートゾーンから出続けたまま死んだ人間がいたのか、甚だ疑問である。多分そういう「コンフォートゾーン」論者も、結婚するとなれば自分が最も居心地の良い人を選ぶだろうし、一番やりたい仕事を選ぶと思う。なぜそこで、最も居心地の悪い人と結婚し、子供を10人くらい産んで財政難に苦しみ、しかも最もやりたくない仕事に就くというような選択に行き着かないのか。お宅の理論によれば、それが最も「成長出来る」人生ではないのか。

答えは簡単だ。みんな、生き辛い人生は嫌なのだ。恐らくいかなるコンフォートゾーン論者も、彼らが「快適に生きられる」という前提のもとで、「コンフォートゾーンから出ましょう」と言っている。もちろんこれは人として当然の選択だと思うのだが、だからこそコンフォートゾーン論者は己の限界を知らねばならないとも思う。つまり、「我々が人間である限り、コンフォートゾーンから出続ける人生は選べない」と。結局コンフォートゾーン理論は、マクロなコンフォートゾーンの中で、ミクロなコンフォートゾーンから出て喜んでいるに過ぎない。そして、誰もそのマクロなコンフォートゾーンについては検証しようとしない。ぼんやり誤魔化して、そのままにしておく。そこを検証すると、足下がゆらぐからだ。

改めて言うが、僕はコンフォートゾーンから出る価値を否定しない。大いに賛成だ。
でも、「みんな、コンフォートゾーンから出て俺みたいに成長しようぜ」とか自己啓発セミナーで語る人がいたら、「ではお宅に今の地位と財産を全て放り出して、今いるコンフォートゾーンから出る覚悟はお有りですか?」と問いたい。

同時に、コンフォートゾーンから出続ける人生は、宗教的な「苦行」とは異なるとも思う。「常に不快な人生を選ぶ」ことと、「禁欲主義」や「施しの生き方」は違っていて、前者の方が辛いと思う。そんなわけで、「常にコンフォートゾーンから出続ける人生」を選んだ人がどのような超人になるのかにも、興味がある。





11/16/2013

wannaとネイティブ

昔、facebookで、知り合いの日本人が「どうして日本人はgonnaとかwannaとかスラングを使いたがるのか!それは外国人が「〜しちゃった」とかを連発するようなもので、奇妙に違いない!」と少し怒り気味に(英語で)書いていた事があった。その人は日本でかなり一生懸命英語を勉強されている方なので、まぁ気持ちは分からないでもない。今日はその事について、「英語」概念を色々勉強してみて思うことを書こう。


まず、賢明な読者の方々はお気づきかと思うが、wannaやgonnaはスラングではない。音韻論的な言語現象で、want toを流ちょうに言うと(複数の言語現象の果てに)wannaになってしまう、その程度の事だ。だからまぁ、want toをwannaと発音出来る人は英語の発音に慣れ親しんだ人である事は多い。

ところが、実はwant toは常にwannaになるわけではない。下の例を見てみよう。

I wanna go shopping today.
Do you wanna go shopping today?
*Who do you wanna go shopping today?

上記三つの例文の内、初めの二つはwannaが成立するが、最後の一つは成立しない。実はwannaには但し書きがあって、単純に言えば「wantとtoの間に他の単語が入っていない時に限る」のだ。最後の文はもともとYou want who to go shopping today.という形で、wantとtoの間にwhoが入っている。従ってこれを疑問文にしたWho do you wanna go shopping today?も成立しないのだ。
このルールはもちろん高校まででは教えてくれないし、試験にも出ない。大学でも言語学を勉強しないと知ることは無いと思うし、言語学を勉強していないネイティブからこのルールを教えてもらう事もないだろう。だから、恐らく多くの日本人は「want toはいつでもwannaになる」と思い込んでいるのではないだろうか。
この例から見えてくるのは、言語現象の複雑さだ。一見単純に見えるwant toからwannaのような現象も、様々な言語現象と、様々な制約の果てに発せられているのである。ネイティブスピーカーはこうした現象と制約を誰にも教わらず完璧に使いこなせるわけだから、「ネイティブ」を目指すことがいかに勇猛果敢な挑戦かお分かり頂けると思う。


さて、ここで冒頭のコメントに戻ろう。
僕はその方の意見に、言語学的な観点からも、社会言語学的な観点からも半分は賛成だ。上で述べたように、聞きかじった程度の英語を使うことは言語学的なルールに違反する場合があるし、特定の言葉が文化規範に違反する場合もあるからだ(知らずに差別用語を使ってしまうなど)。間違いを恐れず言語を使うのは良いが、同時にそれが危険を孕む事も知っておかなければならない。


ところが、これが僕の言いたい事では無い。ここからが本題。

聞きかじった程度の英語が言語学的にも社会言語学的にもマークされうるのはその通りなのだが、果たしてそれは悪いことだろうか。
実は、この"markedness"を問題にすることが、すでに「ネイティブ」の罠に陥っているのである。「違反する」という行為は、違反する基準がなければ達成できるものではない。そしてその基準は「言語学的に」または「当該文化に」規定された英語なのである。世界中の全ての人間が、同一基準の英語と同一基準の文化を持っていればそれで構わないが、世界には様々な英語があって、それぞれの英語話者はそれぞれの文化背景を持ちながら会話している。何度も言っているが、英語という言語を世界規模で見た場合、それは既に誰に
所有されているものでもない。英語という言語は、Englishesとして土着化しているのだ。
となれば、人が人で有る限り「"want to"はいつでも"wanna"になって構わない」という考えが広まるのも時間の問題で、そこに新しい基準が出来る。アメリカ人やイギリス人が「そこでwannaなんて言わないよ」といくら目くじらを立てても、もうどうしようもない。かつて英語の所有者だった人々は、新しいバラエティーの英語を受け入れざるを得なくなる。誰の言葉だったか「西洋が作った植民地が、今度は西洋を植民地化しようとしている」のである。

もうこうなると訳が分からなくなってくる。「英語」とは何で、誰が誰の基準に合わせるべきなのか。英語学習者が学習の過程で使う英語は、「間違い」なのか、「バラエティー」なのか。「そこでwannaとは言わないよ」と教えるべきか「まぁ外国人だし仕方ないか」で済ませるか。今、多くの英語教育研究者が、このモラルハザードに直面している。


この記事には、結論も答えもない。一つの打開策は"Intercultural Communicative Competence"という概念で、それは別の機会に書ければ良いなと思っている。ただ、それは「英語教育者は何を教えるべきか」の答えではない。従って、この記事には答えが無い。僕は冒頭のコメントに半分賛成だが、半分反対だ。そこにどう折り合いをつけるか、それがこれからの課題。


11/11/2013

集中している時の話

「よし、自分に負けないで頑張ろう」と思うのは良いのだが、そう思いながら作業をしている時点でもう負けているという事に気がついた。
気がついたというより、再確認した。

本当に集中している時、人は、無心になるものだなと。


そんな当たり前の話。


10/27/2013

本物の話

「本物の話」と言っても、今まで嘘を言っていたという訳では無い。
ちょっと当たり前の考えがまとまったので、「本物」という概念について当たり前の事を当たり前に述べたいと思う、という話だ。


僕は結構ひねくれ者なので、one of themになりたくない傾向がかなり強い。というか、自分の目的の為なら進んでone of themにもthe oneにもなるが、「みんなやっている」という理由でone of themを選びたくはない。自分が何かを「好きになる理由」を他人に押しつけられたくないのだ。

もう一つ。人類学という分野を通り、さらに「英語」という概念を客観的に勉強している今、「本場」とか「本物」という概念に敏感に、かつひねくれて反応するようになった。「本場のカレー」とは何か?「本物の英語」とは何か?「ハワイらしい」とは何か?等々・・・。

この二つが合わさると、要するに観光地とか行きたくなくなる。笑 「名物」とか気にくわないし、「本場の~」とか銘打っている店とか行きたくない。行ってもその「名物」頼んでやらない。踊らされている感満載だし、「本物」とか「本場」とかって、本来当事者にとっては意識されないもののはずだと思うから。言い換えれば、あまりに当たり前すぎて、意識すらされずに行われる行為や提供される料理こそが、「本物」なんだと思う。それを外部の人間—あるいは時に当事者自身—が「本物です」と銘打ってしまうから「偽物」が増えることになる。コンテクストから切り離された本物は本物ではない、というより、移植された場所のコンテクストと絡まって新しい「本物」になる。「本物です」と銘打たれた所に「本物」を求めに行くことは、ある意味で「本物化される前の本物」を侮辱している事になる、と思う。

誤解しないでもらいたいが、そういうのがお目当ての人を、僕は否定しない。例えば商業化されたワイキキの町並みやフラダンスを「いかにもハワイらしい!」と感じる人は多いだろうし、それは現代のハワイとして「本物」である。だけどそれは「ハワイの全て」ではない。Waikikiとはハワイ語で「噴き出す水」(Wai= fresh water; kiki= sprout)という意味である。元々湿地帯だったワイキキは、アラワイ運河の建設により排水が試みられ、また他の砂浜から砂を運んでワイキキビーチの建設も行われた、いわば資本主義の象徴的な観光地である。ハワイ大学からワイキキまでの道のりも今は完全にアスファルトだが、その昔は水が流れており、ハワイアンたちはワイキキから(現在の)ハワイ大の方まで魚を追い込んでいたのだという。彼らにとっての「ワイキキ」と現代の「ワイキキ」はどちらも「本物」だろうが、意味合いが全然違うのだ。

どちらがより「本物」でどちらが「正しい」という話では無い。そういう事を言い始めるとケンカになるから絶対止めた方が良い。どっちも正しくてどっちも本物なのである(ただ、もう一度言うが僕は「本物です」と銘打たれたものは基本的に大嫌いだ。好きになる事もあるが、「本物です」という理由だけで好きになりはしない。)。ただ、「本物です」と銘打たれる前の本物は当事者にとって意識されざるもので、銘打たれた「本物」は「本物化される前の本物」とは違う場合がある、という事。「本物」とはコンテクストと切り離す事が出来ないので、超時代的に「これが本物です」と断定する事は出来ないのではないだろうか。銘打たれた「本物」も意識されない「本物」も、それぞれのコンテクストの中で理解されるべきで、後者は時代と共に変わっていくものなんだと思う。

10/24/2013

The Sky is the Limit :)

忙しい時は(それってほぼ毎日だが、多忙な時期は特に。)いつも真ん前か、地面を見ながら歩いている、気がする。顔を上げる余裕すらなくなっているようだ。笑

今日、久々に空を見上げると、相変わらず快晴のハワイの空が広がっていた。この気候に助けられている部分は大変大きい。感謝、感謝。

なんだか気分がスカッとしたので、ポスト。

10/20/2013

文系大学院の授業

今更だが、アメリカの文系大学院の授業について、知りたい人向けに少し書いておく。

日本と同様、アメリカの大学院は一つのcourseが15週間の授業で構成されている。
ご存知の通りアメリカの授業レベルは100から始まる番号で区別されていて、大学院だと600~の授業を取るのが普通だ。例えば、610 "English and Identity"とか、650"Technology and Education"とか、そんな感じ。さらにウチの場合、700~はセミナーで、600レベルよりドクターの生徒が多く、よりstudent centeredな授業が行われる。授業時間も600レベルが75分または170分なのに対して、700レベルは170分一択だ。
授業は一週間に1〜2回で、これは教授によってまちまち。要は75分×2回か、170分×1回か、ということ。

こうした授業を1セメスターに3つずつ取って4セメスターで修了というのが普通だが、4~5授業くらいずつとって2~3セメスターで修了するバケモノも結構いる。4~5授業くらいずつとった上に4セメスター以上勉強し続けるという人外の生物もいる。

日々の課題は、次回の授業までに1~3本の論文またはbook chapterを読むというのが主。論文の長さは10ページくらいの軽いヤツから、60ページくらいあるものまで様々。よって一週間に読む量は平均200ページ位。授業中はこの論文たちをもとに、講義+クラスディスカッションが行われる。


シラバスにはこんな感じでリーディングリストがくっついている


そのほかに生徒主導の課題が2~3回/semesterくらい与えられて、これは教授やcourse typeによって、リーディング課題を要約するプレゼン、自分の研究を発表するプレゼン、ディスカッションリーダー、軽めのペーパーなど様々。ネイティブが多いクラスでディスカッションリーダーをやる時は涙目。笑
あとは学期の最後にfinal projectが控えている、と。

当然プレゼン、ペーパー、ディスカッションリーダー、final projectなどは学部生みたく「一夜漬けでやりました!テヘペロ!」というテンションでは取り組めないので、その2週間~数ヶ月ほど前からさらに多くの論文を探し、読み、構想を練らなければならない。軽いノリで取り組むと、教授と複数の生徒から、良くてやんわり穴をつつかれ、悪いとかなり辛辣かつストレートに糾弾される、らしい(断っておくが僕が経験したわけではなく、聞いた話だ(笑))。
そしてこうしたプレゼンやペーパーなどは普通学期の中間と終盤にかぶることが多いため、この時期は数日朝まで勉強し、コーヒーとレッドブルに大変お世話になるわけだ。

あ、ちなみに。
全ての生徒が全ての論文を読むわけではないのは日本と同じで、全部読んだフリして授業に現れる人間も多数いる。しかし、読んだフリの仕方(笑)が分からないうちは絶対全部読んだ方が良い。ディスカッションで困った事になる。

さて、final gradeはA+からF(落第)までの評価で示されるが、普通に勉強していればFをもらう事はまずあり得ない。ていうかA-(マイナス)以上をもらうのが普通だ。昨日ネイティブの友人とも話していたが、「大学院ではB=Fと考えた方が良い」位だと思う。


最後に少しお金の話。
日本ではあまり意識しないだろうが、こっちでは(少なくとも僕は)「単位(credit)」というものをかなり考える。というのは、授業料はcreditごとの量り売り(笑)だからだ。ウチの大学で大体1credit=12万円くらい。普通大学院の授業は3creditsなので、一授業に36万円払ってる事になる。資本主義の象徴なわけだが、ハッキリ言ってこれはものすごいモチベーションになる。お金がない中で、絞りに絞った3授業を108万円払って受けるわけだから当然である。授業の質が悪ければ教授に直接feed backしまくるし、教授もすぐにそれを受け入れて授業スタイルを変更する。

資本主義のシステムの中で資本主義を勉強し、さらにそのシステムを巧みに利用して自分に最も利益があるように行動するとは皮肉なものだが、今はそれを考えない事にする。



10/18/2013

一息

ペーパーやらプレゼンやらミーティングやらのdead lineが3週間ほど続き、今やっと一息。
15週間ある授業のうち、学期の半ばにあたる7~8週目と、終盤13~15週目あたりは冗談じゃ無く、レッドブルが主食になるくらい忙しい。「金払って仕事してるようなもんだ」とはドクターにいる知人の段だが、言い得て妙である。

ちなみに一息ついたところで、別に面白いネタなどない。ネタがない事がネタになるくらい、ネタが無い。

英語教育という分野は、金・政治・イデオロギーと密接に結びついている。それも、グローバルに。そんなことを日々再確認しながら生きている。
この分野を勉強すればするほど、「では、教師は何を教えれば良いのか」というモラルハザードにぶち当たる。ただその答えはきっと座って考えて出るものではなくて、教壇に立って分かるものなんだろうと思う。だから、今のうちにたくさん鬱憤を溜めておきたい、と思う。教壇で生徒と自分に問いかけてみたいものを、たくさんたくさん溜めておきたい。


ハワイも雨期に差し掛かった。