11/15/2012

TOEFLの妄想と知の形成のはなし。

久しぶりに、そこはかとなく思った事を書き留めておこうと思う。
留学準備をしている人は、もう11月だし、早い人は既にapplyを終えたことだろう。
何度でも言うが、もし今「やべーよTOEFLの点数上がんねーよ奨学金すら申しこめねーよ」と思っている同胞がいるのなら、焦ることはない。いや、焦っては欲しいが、諦めては欲しくない。何故なら僕も同じ状況で、最終的にapplyしたのは2月だったから。
心配ない。
今は泣きながら努力したら良いと思う。
逆に言えば泣いてばかりいないで、努力はしたら良いと思う。


さて、今日の話はそれとかぶる事になる。
単純に言えば、渡米して3ヶ月、感じたのは「英語が出来ないうちに留学すんな」って事だ。学部留学と違って、大学院留学は「英語を使った研究」に重きが置かれる。当たり前だけど。
そして、特に学部から大学院で専攻を変えた場合、初めのセメスターで基礎知識を一気に叩き込まれる故、英語が出来ないまま渡米するとはっきり言って時間の無駄だ。無意味ではないが、多くの時間を無駄にしている。少なくとも僕はそう思った。


知は、対話によって形成される事が大きいと思う。読み、書き、話し、聞く。言語/非言語問わず、インタラクティブな活動によって発見や反省が繰り返され、知が形成されていく。言語が出来ないことは、その分だけ知の形成を遅らせている、と思う。
僕の場合、文法はきちんと勉強したので、幸いリーディングは相対的に「出来るな」と感じた。だからリーディングによる知識の吸収は確実に感じた。ところが抽象的なレクチャーを聴き、ディスカッションするとなると途端に駄目だったので、毎日毎日、知が形成される機会を逃している気がした。

繰り返すが、決して「無意味」ではない。英語による思考自体はもちろん、この「あ、あれだけ勉強しても英語って使いこなせないんだ(笑)」という感覚も「成長」であり、昨日より今日、先月より今月授業に溶け込めるようになる感覚はモチベーションにもなる。

ただ、間違いなく知の形成は行われにくい。

もしまだ留学したことが無くて、これから大学院留学を考える人が居たら(学部留学も出来るに越したことはないが)、わずかでも良い。ネイティブとでなくても良い。自分の得意分野で構わない。四技能を使った抽象的な思考を練習しておくと良い。当たり前だが、それは知の形成を促すとともに、当該分野に溶け込むための練習にもなる。


はっきり言おう。TOEFLはただの試験だ。英語でディスカッション出来るレベルの人はTOEFLでも高得点は取れるだろうが、逆は違う。
僕がこの明々白々たる事実を誤解していたので、当たり前の事をここでもう一度言おう。
「TOEFLを目標にする事は大きな間違い」だ。泣きながらTOEFLやGREの勉強をするのはもちろん、その先を見据えた努力も怠らないようにすると、後々良いことがある。