9/18/2011

無題

先ほどTOEFL@神奈川が終了いたしました。TULLY'S COFFEEにて書き留めます。

うーん・・・・率直に。超悔しい。

Reading5題で完全に挫かれた。TOEFL iBTの場合、Reading/Listeningで午前中が終わるのですが、Reading 3~5題(一題につき12~14問)、Listening 2~3セット(一セットにつき大体、会話1題プラス講義形式2題の計3題)という感じで、テストによって何題出るかが変わるんですね。経験的にはReading3題の方が多かったのですが、まさかここで5題出るとは・・・。3題終わって「よしリスニング!」と思ったらまだReadingが続いて、かなり挫かれました。




・・・・でもそれだけじゃない。ListeningもSpeakingもWritingも全部駄目だった。すごく悔しい。
例えば留学した人間なんかはちょっと勉強すれば100点超えるんだろうけど、だからこそ留学せずに107点とってドヤ顔してやりたい。笑

何かが決定的に足りない。自分の中で全然「英語使える!」って思えない。
リーディング量?スピーキング量?語彙力?



先が見えない。

今までテストというものは腐るほど受けてきたが、ここまで先が見えないとともに、「あれ?もしかして自分には出来ないのか?」って思える瞬間は初めて。努力に裏切られた感がするのも初めて。風車に立ち向かうドンキホーテ宜しく、立ちはだかる壁がでかすぎるように感じる。中学からずっっっっっと英語だけは得意科目だったから、多分今自分は最高の挫折を経験している。



だからこそ、107点とった瞬間、自分は自分史上最高に成長出来ると確信している。
この挫折、overcomeすれば成長、overwhelmされれば・・・死刑宣告みたいなもんですね。
他の留学の準備は、全て「やったる!」というアクティブな気持ちで動いていますが、英語の勉強に関してはその気持ちなどどこにもない。

今の自分を突き動かすのは最早強迫観念。


やるしかない。


今は、英語は、楽しいものなんかじゃない。


9/14/2011

学会に行って。思うこと。

9月の暑さでは無いと思う今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。

さて、9月2日までの学会でこてんぱんに打ちのめされたことは以前のブログを見てもらえば良いわけですが、学会から帰ってきた時点で何を考えたか、少し書こうと思います。


僕が学会に行く前に考えていた、「日本の英語教育の問題点」は研究者の間では前提条件であったことは以前言った通りだが、同時に僕が考えている「日本が目指す言語政策の方向」とかぶる意見はなかったのでほっとした。これは10月30日の学会で話そうとしていることなので、もう少し理論的なバックボーンが出来たら、このブログにもアップしようと思う。

ただ、今の時点で言える事を一つだけ。

今世界では多言語化が急激に進んでいる。Multilingual societyってやつだ。輸送網・交通網の発達によって、多くの人と文化と言語が、世界中の複数の地域に混在するようになってきている。当然そうなると、複数の言語や文化が衝突し、多くの場合文化/言語同士がmajority/minorityの関係に立つことになる。日本でも、1980年代以降急激に在留者数が増えつつある「ニューカマー」(新来外国人。国際結婚や出稼ぎで日本に来る人々の総称。)と日本人との間の軋轢が問題になっているのは周知の事実だ。
そのMultilingualism(多言語主義)と似た概念が、Plurilingualism(複言語主義)というものだ。欧州評議会(CE)で採用されているCEFR(セフアール; Common European Framework of Reference)というフレームワークに用いられている。複言語主義は簡単に言えば「『どれか一つの言語』じゃなくって、みんながいろんな言語話せたら良いよね」って考え方。既にヨーロッパでは母語+2外国語を話せる教育体制を整えつつある。Multilingualismは「社会の中に複数の言語が混在していること」、Plurilingualismは「個人が複数の言語でコミュニケーションがとれること」といったところだろうか。

学会で強く感じたが、近年このCEFRに似た議論を日本を含めたアジア諸国で広げようという風潮がある。普通に暮らしていると気づかないかもしれないが、言語政策の部分では確かにその風潮が存在する。Multilingual societyの中で複数の言語が生き残っていく方法は、Prurilingualismだ!みたいな。その考え方自体は否定しないし、そもそも肯定・否定するだけの知識が今の自分にあるかと言われればそれも微妙だ。笑

さて、この時点で考えていること。それは「英語に関する政策」と「その他外国語に関する政策」がごちゃまぜになっているのではないか、という懸念。英語という一つの外国語に対してすらその教育方針・方法が固まっていないのに、CEFRの考え方で複言語主義を推進しようとするのはまだ早すぎる気がする。CEFR的な考え方を推進しようとする人の中に、「これからの時代、英語じゃなくて複言語主義っすよ!」と言っている人がいないか心配だ。英語に関して教育方針が定まっていない日本という国には、複言語主義を根付かせる土壌がない。高校卒業しても英語でコミュニケーション取れる日本人は皆無だというのに、中国語や韓国語やインドネシア語やマレー語なら出来るという事はないだろう。

アジアにおける経済連携を優先して複言語主義が推進され、教育現場の混乱を招くことだけは避けてもらいたいと思う。


9/11/2011

まとめてブログ③

早いもので今日で震災から6ヶ月が経ちましたね。とりあえず自分には学生生活が最優先なので、勉強したり遊んだり、普通に暮らすことを目指します。

さて、まとめてブログ三部作もいよいよ最終章。
この時点での状況はこんな感じになっている。
・この日から福岡に飛び、JACET(大学英語教育学会)の50周年記念大会に出席(~9月2日)。
・9月7日に、10月30日の学会のrough draftを教授に提出。
・9月18日にTOEFL@神奈川を申し込んだ。
・9月29日に卒論中間発表がある。
・1週間前に比べると大分精神的な落ち着きがある。

以上の(ry


8月30日
人類が試行錯誤の末生み出した、鳥人間コンテストもびっくりの鉄製鳥形飛行体、エアプレーンで福岡へ。東北地方から九州までおよそ2時間弱で結ぶとは。類人猿もやるではないか。

さて、ほぼ常夏island、福岡は天神に降り立ち、14時頃ホテルへチェックイン。
その日はそのまま、18時からreception dinnerがあるとの事なので、速攻スーツに着替えて会場へ向かう。運賃は往復で500円。

まぁだがしかし、この辺が経験の差ってやつだ。
reception dinnerは完全に内輪です。気をつけましょう。教授と学会のお偉いさんしかいませんでした。来ちゃいけない雰囲気を瞬時に感じた私は、幼少の折父に教えてもらった「絶」を使い自分のオーラを消し、母が万一の事を考えて洋服の左肘に縫い付けてくれた「キメラの翼」を使ってホテルに帰った。そう、運賃は往復500円。

なお、その日は20時30分には就寝。何故なら次の日は7時起きだから。逆算して21時くらいには寝ないと駄目なのだ。


8月31日~9月2日
この期間で「本当の」学会があった。詳しく書いていると面倒なので省くが、とにかく自分の考えの甘さに気づかされた。学会に行く前に、僕がやりたいことは "language policy"と呼ばれる分野ではないか?と例のアメリカ人の教授が教えてくれたので、主に "language policy"について発表している場所に行った。そこで見聞きした問題点は、ほぼ全て僕が考えていたことだった。ただそれは僕が研究者に追いついていたというわけではなく、要するに僕の考えていたことなど研究者の間では常識だったということ。そしてそれを踏まえた上の議論が展開されていた。しかも聞き取れねーし。ショック。

ちなみにこのときguest speakerとして招かれていたメルボルン大学のProf. Lo Biancoはlanguage policyのスペシャリストで、オーストラリアのみならずヨーロッパとアジア各地の言語政策作りに携わっている方だった。例のアメリカ人の教授からも、学会に行く前にメールで"he is fantastic"と言われていたので彼が話すspeechは全て聞きに行った。僕の英語力の低さに加えて、Australian Englishが聞き取りづらかった・・・けど、とりあえず話が聞けただけで大きな収穫だった。これはメルボルン大学も視野に入れた方が良いかもしれん、と本気で考える今日この頃。

それ以外で思ったことは、稿を改めて書きます。


9月3日~6日
ひたすら勉強。しかし英語ではなく勿論rough draftの。自分が考えていたことが全て研究者の間では前提だった、とあっては、ほぼ一からのスタートに等しい。泣きながらドラフトを完成させる。

9月7日
教授と面会。苦心して作ったdraftを見せる。1分ほど見てもらえただろうか。笑


"OK, that's fine."



終了。



なんだか清々しい気分だ。こうもあっさり終わると。努力の甲斐は・・・・まぁ怒られなかっただけ良いだろう。笑
色々手直しされて、次に会う日程はまたメールで決定することになった。
運命加速中。



やっとブログが現実に追いついた。かな。

9/09/2011

まとめてブログ②

まとめてブログ①の続き。

この時点での状況はこんな感じだ。
・8月25日に奨学金の締め切りがある。多くの日本語申請書類に加えて、英語で書く「大学院での研究要旨」に頭を悩ませている。
・8月27日にTOEFL@埼玉がある。研究計画が纏まらず、TOEFLの勉強なんて手が回るわけがない。
・8月28日にフィールドワーク@仙台がある。
・8月30日から9月2日まで学会@福岡がある。
・9月7日にrough draftの提出がある。
・9月29日に卒業論文中間発表がある。

以上の前提のもとお読みください。笑

8月18日
奨学金の締め切りまであと一週間、TOEFLまであと9日と迫っていた。
僕は基本的に、というか自慢できるほどロングスリーパーだ。こればかりはどうしようもない、と思う。朝は早くて10時。ご飯を食べて13時くらいから2時間ほどお昼寝。夜は25時くらいに就寝して9時間はたっぷり寝る。ほんと駄目な人間だと思うが、これを崩すと死ぬほど体調悪くなる。朝ご飯を食べようものなら、胃の調子が悪すぎてお昼ご飯はウィダーインゼリーかスープ春雨というOL顔負けの食事になる。
まぁ、かのアインシュタインは10時間寝ていたというから、悪い事ではないだろう←

さて、そんな僕がこの時期は25時に寝て7時には起き研究室に行き、愚痴と弱音を吐いていた勉強に精を出していた。無論精も根も尽き果てていたわけだが、絞って出てきたオカラをエネルギーに勉強していた、と言えば分かりやすいか←
ちなみにこの2週間ほどで3キロ痩せた。

8月23日
やっちまった。遂に限界を突破したらしく、朝起きたらお昼近くになっていた。最後の追い込み時期にやっちまった。本当にやっちまった。

8月25日
なんとか奨学金の応募書類を提出した。なぜこの辺りの事を詳しく書かないのか。書けない事情があるからだ。ネタとしては申し分ないのだが、身の危険があるので書けないことを本当に申し訳なく思う。
しかしとにかく提出し、ほっと一息着くとそのまま灰になりそうだったので、気分を保ちつつ・・・

同日深夜(24時過ぎ)
やっちまった。楽○トラベルで東京行きのバスチケット予約したのに、まさかの振り込み忘れだ。安心し過ぎた。この辺りからも僕のキャパオーバーっぷりが見て取れるだろう。でも過ぎたことは過ぎたこと。たまにはリッチに新幹線で行くことを決意し就寝。

8月26日
新幹線で埼玉へ。ホテルをとるのも遅れたため、4,500円と少し高めだ。でも値段相応のホテルだった。

8月27日
TOEFL@埼玉
お察しください。

同日午後23時頃
バスで仙台着。

8月28日
朝10時から仙台市内某所にてフィールドワーク。午後3時くらいに解散。

8月29日
久々に丸一日空いていたわけだが、この日中にこなすべきミッションがあった。
ミッション①:まず、福岡の学会は「大学英語教育学会」、要するにSLA(第二言語習得)に関わっていたわけだが、僕にはその知識がほとんどない。ましてや3日間に渡って、ほぼ英語で開催される。知識が不足していては何をしにいったのやら分からん。ということでこの一日で基礎的な用語と概念を英語でたたき込んだ。
ミッション②:学会というものに出席するのが初めてすぎて、どういうバッグが良いのかも分からん。ボストンバッグ?キャリーバッグ?・・・どっちも持ってない。僕が持っているのは一人旅した時のバックパックだけだが、それでも良いのだろうか?
ということでキャリーバッグを買うことが二つ目のミッションだった。

そんなわけで29日もまるまる一日潰れた。勉強してキャリーバッグ買ったら終わった。


さて、翌日から福岡に飛ぶわけです。


続く

9/08/2011

まとめてブログ①

久々に時間が出来たので、更新していこうと思う。

とりあえず最近やったことのまとめ。どこから書けば良いんだ。笑

まず、8月の前半。この時点での僕が置かれていた状況は大体こんな感じだ。
・8月25日に奨学金の締め切りがある。これの準備は大した時間はかからないだろう、と踏んでいた(これは後に大きな間違いであると判明した)。
・それにしても、いい加減大学院でやりたいことについて勉強しなければ。と思い悩んでいた結果、悩んでいても仕方ないからほぼ初対面でもインターネットで名前を見ただけでも、第二言語習得をやっているであろう先生にはメールを打つことにした。「第二言語習得理論を勉強したいのですが、その分野に詳しい先生に知り合いがいません!どうか助けて下さい!」って。この時点でメールしていたのは2人。お二方とも返信を下さり、片方の先生からは8月末に福岡で大きな学会があることを教えて頂いた。もう片方の先生は会ってくださるとの事だった(このブログを書いている時点でまだ実現していない)。
・8月27日にTOEFLがある。

以上の前提のもとお読みください。笑



8月6日
7月末に受けたTOEFLの結果が公開された。
91点。まー7月後半ならこんなもんか。ていうか90点乗ったことがとりあえず嬉しかった。

8月10日
うちの大学にいるアメリカ人の教授で、言語教育をやっている方に大学院の相談をしに行った。大学院の応募も迫ってきたし、藁をもすがる思いだ。


<恐らくこの教授に会いに行ったところから、僕の運命が急激に動き始める。全ての事象が絡まりあう、絶妙で極上のハーモニーを奏でていく←>


さて、この教授・・・・向こうからものすっっっっっごい話してくれた。怒濤のように。もう質問とかする余地無し。英語で抽象的な会話が出来ないことを悔やんだ。折角のアドバイスが理解出来ない・・・・!!!!悔しい!
んで、言語教育について自分が思うことを話したら "Well, you can make a presentation in a conference, if you want."って言われた。当然これは冗談だろうな、と思いつつ"Haha, yes, if I have an opportunity, I may."という何とも弱気な返事でこの日はおしまい。どっと疲れた。


8月17日
僕のブログに良く登場する、某アメリカ大学院に留学中の先輩にSkypeをする。何というわけもなく。iBTの現状報告しようかなーって感じで。

自分:この前のiBT91だったんですよー。
先輩:おー、良いじゃん。やりようによっては次100超えるよ、がんばりー
自分:ありがとうございます^^
先輩:で、最近留学の準備はどうなのよ
自分:最近は、いろんな教授の所にメール出したり、直接話聞きに行ったりですね。あ、この前アメリカ人の先生の所に行ったら、『学会で発表しない?』って言われちゃいましてね(笑)
先輩:え?
自分:まー冗談だとは思いますけどね!ははは
先輩:お前、それは、絶対やった方が良い。
自分:・・・え?



決定。



背中を押されると空だって飛べちゃう単純明快な僕は、翌日教授にメール。学会の話が生きているか、あれは冗談だったのか、門外漢の自分が学会発表とかして良いのか・・・疑問は尽きなかった。


・・・・・またものすっっっっっっごいメールきた。笑 3個くらい学会の話を教えてくれて、そのうち一つの学会が小さくてフレンドリーなものなので、きっかけとしてはピッタリだと思う。と話してくれた。じゃあそれがやりたいです、と話すと
"OK, then please make your rough draft and bring it to me. How about the 2nd week of Sept?"的なメール。8月25日に奨学金の応募締め切り、28日はTOEFL、30日から福岡に飛んで9月2日まで学会の予定だったので、Draftを作ってる時間なんてねーぞ、と思いつつ、なんとか9月7日に延ばして貰った。つまりこのブログを書く前日だ。

そんなわけで、まずは8月25日に控えていた奨学金の応募に全勢力を注ぐ事になるわけです。



続く


8/22/2011

追憶

奨学金の応募書類を書いていたら、「自己PRをなんでもどうぞ」という項目があった。なんか色々書いている時に、塾講時代の事を思い出したから書き留めておく。


当時、僕は自慢できるほど貧乏だった。実家の方針として仕送りは授業料のみだったし、あと何より消費癖が悪くて貧乏だった。笑

2009年12月。僕はまた極貧の状態を迎えていた。
今月分の家賃滞納。といってもこれは最早当たり前だから良いだろう。待って貰おう。携帯の料金も払えていないが、これもまぁ来月督促状が来るまでは大丈夫だ。もう少しで奨学金の振り込みだ。それまで我慢だ。我慢。
そんな事を考えながら、でも「ネタになるしいっか」とか考えながらパスタをオリーブオイル、冷凍してあったニンニクを炒めたものと和えて即席ペペロンチーノを作っていた。もう飽きたけど食材は買えないしなぁ・・・。

そんなある日、バイト先に行くと「忘年会」のお知らせが来ていた。
事務のお姉さんが「先生、忘年会が今月末にありますけど、参加しますか?」と参加の可否を尋ねてきた。僕の大好きなバイト先で大好きな仲間と大好きな飲み会だ。行きたくない訳がない。

「行きません。ていうか行けません。お金無いんで。」

即答に決まってる。こちとらとうの昔に爪に火がともってる。真っ赤に燃えた爪と家計簿を見せてやりたいくらいだ。もとより家計簿などつけていなかったが。
とにかく事務のお姉さんの優しいお尋ねを涙ながらに突っぱね、授業を終えて帰ってくると何やら職員ルームが騒がしい。実は当時塾の中でも僕の貧乏っぷりは有名だったのだが、さすがに「金が無くて忘年会に行けない」はネタになったらしい。生徒は全員帰って後はオトナの会話。
「先生、それは面白いね。」
「いや面白い。ていうか可哀想だよね。」
「これはネタだよね。ネタ。」
などと勝手な事を騒ぎ立てているうちに、当時僕に良くしてくれていた女性の先生が言った。


「募金しますか。」


冗談かと思われたその一言は、正に瞬く間に現実のものになった。すぐに、小学校低学年担当の女性の先生が段ボールを切り貼りして募金箱を作り、「○○先生を救う募金箱」と書いて職員ルームに置いた。当時バイト先には正社員4名ほどとアルバイト20名程が居たはずだが、そのほぼ全員が、「え?この箱何なんですか?面白そうですね。」とか
「ホントに募金箱出来たんだ!」とかなんとか口々に言って
10円、100円、500円、1000円・・・・募金していってくれた。忘年会の2週間くらい前の話だったと思う。

いよいよ忘年会当日になり、授業が終わった職員ルームで忘年会に出かける前、金額が集計されることになった。社員4名とアルバイト10名程がその場にいただろうか。

じゃらじゃらと音を立てて募金箱から出てきたのは、文字通り善意の塊の小銭とお札。募金箱を作った先生が数えると、金額はおよそ6000円になっていた。温かい拍手と笑い声が職員ルームに溢れた。

「良かったね、二次会まで行けるじゃん」

と、募金を呼びかけた先生が言ってくれた。
本当に嬉しくて嬉しくて、でもなんだか小っ恥ずかしくて「いやー、みなさん、ありがとうございます!!」と明るく元気に言ってしまった。ホントは涙でも流しながら言えれば良かったんだろうけど。


結局その日は忘年会の二次会まで出席して、無事年を忘れる事が出来た。当たり前の話だが、年を越す頃にはまた貧乏だったってのは内緒だ。その年は彼女と別れたばっかりだったし、元日は一人で安いニッカウィスキーを飲んで初詣に出かけたのを覚えている。



本当に良いバイト先だったなぁ。色々あったけど。貧乏だったからこそ、人の有り難みを実感できた、一生忘れることの出来ないエピソード。でも最近は少しお金に余裕が出来て、思い出すことが少なくなっていたから書き残しておく。

忘れるんじゃないぞ、俺。人は一人では生きていけない。

8/20/2011

直説法過去形について。

お久しぶりです。
久しく更新していないわけですが、それはこのブログをabandonしたわけでなく、リスイッチしたiBTの勉強に加えて奨学金の申し込み締め切りと学会発表と卒論の中間発表がかぶって一気に忙しくなったためです。iBT107超えたら報告します。

さて、久々に更新したと思えば至極真面目な話を。笑
バイトの関係上、英語の質問をよく受け付ける事があります。そんな私に昨日来た質問。
「"If I had time, I played baseball."とはなんぞや?仮定法ではないのか?訳はどうなんのや?」
でした。確かに希に見かける文章。でも文法的な説明は正直答えに窮して文法書を引っ張りだしました。久々にスッキリした&勉強になったので、是非この感動を共有したいなと思いました。笑 理論的には間違っていない筈なので、同じ事に苦しんでいる方(中高生とか?大学生にもなってこんな事に悩んでいてはイケマセンネ・・・。ショボン)の助けになれば、と思います。間違ってたら訂正ヨロスク。


さて。
まず、Ifを使った文章は、「直説法」と「仮定法」とに分かれます。「仮定法」という文法用語は高校で出てくるけど、直説法ってやらないよね。要するに仮定法じゃないIfの文章が直説法です。笑

例)
(a) If it is rain tomorrow, I cannot play baseball.(直説法未来)

(b) If it were rain today, I could not play baseball.(仮定法過去)

ということです(実はこれらの文章は複文なので、カンマの前後で直説法/仮定法の未来/現在/過去が変わると言う事も出来ますが、ここでは便宜上その議論は置いときます。)。

では、直説法と仮定法を使い分ける基準はどこか。Ifのあとに続く節を条件節、カンマ以降の節を帰結節と呼びますが、仮定法を使うのは、簡単に言えば条件節が「100%偽」の場合です。上記(b)の例では、「今日は雨ではない」という事が絶対条件です。逆に言えば、条件節が「フィフティーフィフティー」の場合は直説法を用いて構わない、という事です。上記(a)の例は、明日の事なので雨かどうかは五分五分。よって直説法を用いる、という事です。
さぁいよいよ本題。以下二つの例を見てみましょう。

例)
(c) If I had time, I played baseball.

(d) If I had had time, I would have played baseball.

帰結節に助動詞があるのが仮定法の形なので、(c)は直説法過去、(d)は仮定法過去完了という事です。この2文はどちらも過去の話をしているわけですが、違いはもうおわかりの通り。


条件節の"If I had time"が、話者にとって「五分五分」か「100%偽」かで変わるわけです。つまり、(c)は「時間があった(と知っていた)ならなぁ」、(d)は単に「時間があったらなぁ」と言っているというわけ。子どもの頃、スケジュール管理はお母さんがやっていましたよね?色々習い事はしていたけど、いや、実は自分にはもっと出来たんじゃないか?自分の有り余る可能性が、あのとき母親の手によって・・・・などと非健全な考えをした場合に(c)の文章が当てはまります。笑

江川(2001[1991]: 253)よりその他の例文を。
If I said that, I apologize.(そう言ったとすれば、おわびします)
If she was awake, she certainly heard the noise.(目を覚ましていたのなら、きっとその物音を聞いたはずだ)

直説法未来→現在→過去と時制を「下ろして」考えてみれば当たり前の話ですが、直説法過去形というのは文法書でも中々お目にかかれない項目です。以下の6冊を参照しましたが、バッチリ説明が載っていたのは江川(2001[1991])だけでした(p253)。
さて、勉強勉強。色々落ち着いたら報告します。



参考文献

江川泰一郎
2001(1991) 『英文法解説 改訂三版』 東京:金子書房。

石黒昭博
2009 『総合英語Forest 6th edition』 東京:桐原書店。

釜池進
2005 『Best Avenue 1 新エスト総合英語』 京都:エスト出版。

中原道喜
2008 『新マスター英文法』 東京:聖文新社。

杉山忠一
1998 『英文法詳解』 東京:学習研究社。

綿貫 陽, 須貝 猛敏, 宮川 幸久, 高松 尚弘
2000 『ロイヤル英文法』 東京:旺文社。


7/10/2011

無題

ふぅ。久々に勉強している感じがする。
いや、卒論のために本を読むとか、そういうグダグダしたのはやってたけど。
常に集中力を維持して、10分休憩して1時間また勉強するとか、なんかそういう受験スタイルが久々すぎる。下手したらホントに受験以来だ。笑

間が悪いことに今週の水曜日は英語学のテスト&自分の専門のフィールドワーク報告書提出。

んで今月末は2週連続でTOEFL。TOEFLのスコアは、受験日の2週間後からweb上で公開されるので、8月25日の奨学金締め切りに間に合う為には今月の末がギリギリ。そして応募のために教授から推薦状を一通と、大学院での研究計画を簡単に纏めなければ。
学部での専攻と全く違う分野を専攻しようとする門外漢に、大学院で何を研究するか書けって、結構無茶振りだと思うんだが、よく考えたら大学院の奨学金応募するのに何を研究するか分かってなかったらダメだよな。笑


がしかし、以前書いた僕を最もinspireした友人から昨日メールがきて(何故か英語で。笑)、飯に誘われた。それだけで元気が出たわけだが、しかも予定を調整してたらなんと来月まで予定が合わない。主に向こうの都合で。「こいつどんだけ忙しいんだ・・・」と思って、またinspireされた。やはり彼女を見ていると、立ち止まるのは損だと思ってしまう。
よし、元気出てきた。単純バンザイ。

7/09/2011

消極的決意。

さて、iBTにリスイッチしたのは良いものの。
圧倒的に点数が足りない。そして奨学金の締め切りは迫る迫る。多分奨学金応募に必要な点数は基準として公表されてはいないけど、104~110/120は無いと厳しいだろうな・・・。英語圏で暮らしたことのない日本人は、嘘か誠か90点を超えれば上等と言われているが、104~110点とはね。

ちょっと自信なくすわ。

とりあえず今月末に2回連続で受けてくる(と、110点持ってる友人に言ったら「そんな戦略はダメだよ-。」と言われた。申し込んだ後に言われてしまったがまぁ仕方ない。)。今話題の福島県で久々、人生2回目のiBT、次いで東京で。

「コツコツやる」ほど自分の性に合わない事はないけど、しょうがない、やるか。

7/07/2011

奨学金のはなし

先月の末からだけど、海外大学院用の奨学金が一つ募集を開始した。海外大学院の奨学金は大抵が渡航費から生活費、授業料まで全て負担してくれて、かつ返還の義務がないから嬉しい。JASSOを先頭に、日本も国外に人材を輩出したいと躍起になっているようだ。とはいえ(というか、それゆえ)倍率は軒並み10倍から20倍を超えているわけだが。笑


応募しようとしている奨学金は全部で5つ。これの全てに落ちれば、まず院進学の夢は絶たれる。道のりは険しい。が険しいなぞとは全く思っていないところが自分の良いところでもあり、悪いところでもある。それは「楽ちん楽ちん♪」と思っているわけでも、「俺は今progressしてるぜ!やってやる!」と血気盛んなわけでもない。要するに「ま、なんとかなるべ」と思っているわけだ。

これ失敗するパターンなんだよな。笑
スロースターターな自分に乾杯。

7/05/2011

ジェンダーと文化

今、「ジェンダーの人類学」なる集中講義を受けている。4年生になって授業は週1日2コマしかとっていなかったので、急に朝から4コマ連続とかになると困る。ていうか疲れる。

先生は、オープンリーゲイ(ゲイである事を公言しているゲイ)の人類学者(ご自身は「人類学者」と自称することに疑問を感じていらっしゃったようですが。笑)、砂川秀樹先生。ホームページはこちら
ホモセクシャルとはなんぞや?それを人類学的にとらえるとは?研究の歴史的な背景は?グローバル化するジェンダー論の実際とは?等々、明後日まで興味深い話がたくさん聞けそう。

性別の違いというのは、生理学的/病理学的な問題で、文化とは関係ないか?というとそうではない。特にジェンダーは「社会的性差」と訳されるように、社会や文化によって性役割が大きく異なる。「男らしさ/女らしさ」とは他ならぬ文化が規定する。ある文化は「狩猟」を最も「男らしい」と捉え、またある文化では「硬派」であることをそう捉える。その一方多くの文化で、攻撃的・好戦的な特徴が「男らしい」と捉えられる事は興味深い。

しかしいずれにせよ、もっと大きく捉えた場合ほぼ全ての文化で人間は「男と女」に分けられる。従って両性具有であったり、トランスジェンダーの人々は今まであった文化の枠組みでは捉えられない「奇妙な」存在になる。インドではそうした人々はヒジュラと呼ばれ、不可触民(untouchable)、またはそれにかなり近い存在として認識されている。

日本でもトランスジェンダー/インターセックス/ホモセクシュアルの人々は、まだ堂々と公言できない部分がある。それは日本文化においても「男でも女でもない」人々は認識の枠組みに入っていなかったからだ。でも文化が変化していくものである限り、これからの活動次第では性的マイノリティもまた文化の枠組みに入る可能性は多分にある。こうした問題は、サードカルチャーキッズと呼ばれる、「国際移動を繰り返したために、自分が何人か分からない子供たち」の問題によく似ている気がする。つまり、インターセックスが問題視されるのと同様に、インターナショナルな人々も問題視されるのである。


あ、以上の意見はとりあえず自前のものですので。誤解無きよう。


デビッド・C ポロック、ルース=ヴァン・リーケン
2010 『サードカルチャーキッズ 多文化の間で生きる子供たち』
東京:スリーエーネットワーク

6/29/2011

6月28日(火)

雨続きで、じめじめして。日本の夏って感じだなぁ。
アメリカに留学していた友達が帰ってきて、日本の夏のhumidっぷりに驚いていたけど(あと日本人が背負うバッグの位置が妙に低い事に逆・カルチャーショックを感じていた。笑)、自分はうまくいけば来年にはこの夏を体験できないんだなぁと感慨にふける。

・・・うむ。皮算用の申し子と呼ばれるかもしれん。

来年の2月には、みんなの前で合格の報告をしたい。
残された時間はわずか。
これでやる気もわずかなのが駄目なんだよな、自分。笑
大学受験の時もそうだったなぁ。最後まであんまり勉強しないで、冬休みから「一日8時間勉強」を始めたんだっけ。うーむ。絶対いつか失敗するタイプだし、むしろ失敗はたくさんしてきたんだよ。でも失敗してもすぐ忘れるタイプだから駄目なんだよな、自分。

もう、こんな自分と折り合いつけて生きていくしかない。

6/26/2011

ペルー人の友人がこの前岩手でiBT受けてきたらしい。すげー仲良しのペルー人。一緒に仕事は出来ないと思ったけど、後は大好きなペルー人。

あいつ106点とか持ってたはずだぞ。でも足りねーのか。俺はどうすりゃいいんだ(笑)やるしかねーか。
iBTにリスイッチだなこれは。

6/23/2011

お久しぶりです。

気づいた。独白形式の方が良い。笑

益々記録的になっていくに違いない。がそれで良いじゃまいか。

5/23/2011

雑記。

どーもお久しぶりです。授業が始まると途端に面倒になりますね更新が。笑
と言っても今季は水曜日に2コマしかないわけですが。GPA大丈夫なのだろうか・・・これに関してはもう少し情報を収集してみようと思います。

えーと、以前お話ししていた英語のアシスタントですが、一度打ち合わせをしたきり立ち消えになった感が濃厚。笑 人生は運と縁、ですか。


さてそんなこんなで大学も再開し、水曜日にとっているのは「英語論文作成法」という授業。ネイティブの先生が優しく丁寧にAcademic Writingの基礎を教えてくれるそうです。2年生からとれる授業なので、初回は教室一杯40人くらいいたのですが、まぁ2週目には半減しましたね。大学生の半減期は1週間ということがわかりました。
2年生とか多いし、当然成績は一番良いやつを貰いたいわけですが、もう少しコネを作ってrecommendationも書いてもらえないかなーなどと微かに思っています。あと2枚集めなければなりませんから。

あ、そういえば今日は後輩からiPod touchの新品を安値で売っていただけることになっています。Mac book買ったら新品が安くついてくるけど、その子はもうtouch持ってるからいらないんだとさ。持つべきものはなんとやら。人生運と縁ですな。

5/08/2011

「人生は運と縁」by教授。

先ほど、後輩からメールが来た。曰く、大学で彼女がとっている英語のクラスの先生が被災地の小学校で英語授業のボランティアをしていて、そのアシスタント学生を捜しているとのことだった。願ってもないチャンスって事で明日話を聞くことになった。

ホント、人生は巡り合わせだなぁと思った。も書いたけど、「念ずれば来る、努めれば花開く」。念じている人には、応援してくれる人が出てくると思う。この先生のアシスタント活動がうまくいってもいかなくても、或いは参加することすら出来なくても、やってみることってとても大事。でも実際はそうと分かっていても動けない事が多くて後悔の多いこれまでだった。今は前よりは少し動くようになったと自覚できる。自分の大学生活の中で僅かながら成長した部分だと思う。

5/07/2011

悩み。

うーむ。UCLAの応用言語は、IELTS8.0またはiBT106 or aboveがラインなんですが、IELTS8.0とiBT106を比べた場合、難易度がどちらも同じなら試験の難易度が低いと言われているIELTSの方が簡単だろ、と思いIELTSを勉強してきたわけですが。

どうもIELTSの方が苦手みたい。しかもIELTSで8.0ってかなり厳しい。当たり前だけど。
グダグダ言ってねーで勉強しろって話だけど、どうもiBTの方が早く点数が伸びそう。しかしIELTSももっと勉強すれば伸びるのか・・・。悩む。すごく悩む。そして時間がない。

5/04/2011

雑記

祖母の米寿のお祝いのため、実家に帰省しておりました。いやー、88年間も生きて尚農作業をするとは・・・人間の無限の可能性を感じますな。笑

そして一昨日は東京に出たので、東京にいるサークルの先輩たちと飲み会。冬に飲んだばっかりなのに、「前より老けたね」と言われてショック・・・というより今までどちらかというと「幼い顔」路線だったから新鮮でした。笑
でもこれはこれでショックと言うことに気づいた。いつの間にか最高学年だと実感。








そんなこんなで帰ってきたので、今日は近所のスポーツ用品店にバッグを買いに行きました。今使っている奴は誕生日に友人がプレゼントしてくれた思い出の品なんですが、色々あって買い換え。そしてついに買いましたよORTLIEB(オルトリーブ)。オルトリーブ社は主にメッセンジャーバッグとか作っている会社ですけど、一番の特徴はその完全防水へのこだわりっぷり。なんでも社長が豪雨に打たれてバッグの中身をずぶぬれにしてしまった経験から、このこだわりが生まれたとかなんとか。購入したのはメッセンジャーバッグシリーズの中のvelocityというモデル。20Lとシリーズの中では最小なので、小さな背中の日本人には最適なのです。



買ったのはこれの色違いですけどね。深い青って感じ。
口の部分はジッパーではなくてくるくると丸めてマジックテープで止める形になっております。この無骨さとシンプルさが好きです。ちなみにオルトリーブのジッパーは"TI ZIP"と呼ばれ、やはり完全防水なのです。

さて、明日は朝から自転車をいじったり、後は英語の勉強でもするかな。そろそろIELTS申し込まなきゃ。

4/28/2011

ちなみに飲む前にゲットしたネルフの懐中時計がかっこいい件。

昨日、ってか今日、前のバイトの仲間(塾講)と一緒に飲んでいました!
辞めたバイトの仲間とこれほど仲が良いって珍しいなぁと自分でも思いましたが、何故か仲良し。その中にいる一つ上の先輩は、僕に塾講師の全てを教えてくれた人。でもあり、大学に入って一番最初に影響を受けた人。塾講初めて最初の3ヶ月くらいは自分も授業やりながら、その人の授業にも全て入って見学(自発的ではなく強制で。しかし給料は出ない。この辺の適当さとブラックさがある意味好きだったなぁ。Mか。)。従って授業はその人と殆ど同じになってきて、話し方もそっくり、ついに普段の話し方や一人称までも同じになり、生徒には「弟先生」と呼ばれるようになった。笑
その人の他には、僕とほぼ同期で入って今やうちの教室の名物講師になってしまった人と、僕のすぐ後で入ってきたイケメン講師と、ゲームセンターの鬼の人。笑

普通に仲良いはずなんですが、会話は全て敬語。笑 教室内ではいつも敬語だったから、もう癖。同じ学年で同じ大学なんだから・・・と思いつつ、いまさら普通の言葉で話すのはなんだかくすぐったくて。笑
これも一つの文化ですね。



さて、そんな彼らと飲み屋街を歩いているとキャッチの人が一瞬チラッと見せた「しゃぶしゃぶ食べ放題&飲み放題90分、2980円!」に惹かれて交渉してみる。
「120分になりませんか?」
「じゃあ、店長に聞いてみます!

・・・・・・なんか、学割で十分安くなっているから、これ以上は無理みたいです。





でも!なんかうちの店そこまでカッチリしていないんで、90分位でラストオーダー入っても、席とか追い出さないんで大丈夫です!






ラストオーダーで3杯くらい頼めばいいんですよ!それは店長に言いますから!」



おまえすごい権力だな。笑 ラストオーダー3杯って5人いるから15杯持ってくんのかよ。
そんな事言われて「この店大丈夫かよ」オーラに包まれる5人にトドメの一言。




「もう!大丈夫ですって!!とにかくご案内しますから来てください!」





おまえキャッチの立場分かってんのかよ!!!!!!!



でも面白いから追随。店自体は結構良かったけど、キャッチはおもしろすぎた。ある意味最強のキャッチ。で、ホールでバイトしていた人に先輩が聞いてみた。
「あのキャッチの女の子、いつもあんな感じなんですか?」
「あー、あの子。ああ見えて結構腹黒いですよ。

ここのバイトはマジで面白いと思った瞬間だった。そして多分この子とキャッチの子は仲良くないんだと確信した瞬間でもあった。





そんな人々と店を出て、イケメン講師の家で23時から翌7時まで「バイオハザード5」をプレステ3でやりこんで、帰って寝て起きて今の時間です。今日はこの後バイト。

4/26/2011

自己紹介の続き。

先日、UCLAのapplied linguistics所属の知り合いの方(ドクターコース)から、FBを通じてメッセージをいただいた。曰く、UCLAのapplied linguisticsが、今年からTESOL(英語教授法)に力を入れなくなったとのこと。なんと学科の名前からもTESOLの文字が消えたということだった。

UCLAは僕の第一志望だったので、そこからTESOLが消えたのは結構ショック。タッチの差で遅かったわけだ。その方からは、「それでも腐ってもUCLA、権威と教授は健在。」とも言われたが、果たしてこれから(もし受かったとして)数年間勉強していく場合、その環境はどう出るか。もちろんプラスには出まい。


まだ書いていませんでしたが、僕の目標は大学院でSLA(第二言語習得理論)、特にTESOLと言われる分野を学び、日本の英語教育発展(というより自分の中では改革であり反乱。)に寄与する事にあります。これは僕の塾講師経験とサークル経験と、あと偶然の出会いから辿り着いた目標です。

まぁ、単純に言ってしまえば今の英語教育は古来からの文法偏重をそのまま受け継いでいるわけですね。だから日本人って英語使ってコミュニケーションできなくて、結果的に「留学=語学の勉強」みたいにもなってるわけです。「それでも日本人はwriting/readingが出来る」の時代はもう終わり。日本国内にも外国人は流入し、日本人は続々と海外に出て行く時代にあって、そんなガキの言い訳いつまでも使っていてどうするよ。

・・・とまぁ、ここまでは、どこぞやの大企業の社長さんが考えそうなこと。確かにこれは大きな「英語を学ぶべき」理由です。
でも僕が英語教育を変えたい理由はもう一つあって、それは英語は学ぶ「べき」であるとともに学び「たい」ものだからです。英語とは確かにビジネスツールではあるんですが、それは言わば「枝葉の用途」なんです。当たり前ですが英語の「茎の用途」はコミュニケーションであって、それをどう使うかは個人が決めれば良い。ここを勘違いしちゃいけない。
僕がやりたいのは、英語によるコミュニケーションの世界への門戸を開くこと。英語教育の基盤を整え直し、「日本人が」「英語を楽しいと」思える―正確には「シャイである日本人の性格を変えようとするのではなくシャイである日本人がシャイなままで」「英語を楽しいと思いやすい」―教育方法論を作り上げること。英語という「どこでも使える言語」を学ぶことは、音楽や絵画、スポーツと同じく最高のコミュニケーションツールであり、この楽しさを伝えない手はない。まぁ個人的には、今言ったように英語を使うか使わないかは個人で決めてほしいのですが、時代がそれを許さないでしょう。ホントは「門戸を開く」だけで止めたいんですけどね、「門に入れる」ところまで手を入れて行かざるを得ないでしょうね。

そして、SLA研究はアメリカで盛んなこと、アメリカの方が研究しやすいこと、単にアメリカに行きたいこと(笑)などから、アメリカに行きたいわけです。笑
日本で教育システムを変えるためには理論的なバックボーンと「学位」なるものが絶対必要ですから、出来ればPh.Dまで取りたいと思っております。
そんな自己紹介でした。

4/23/2011

それにしても何を以て日本文化と呼ぶのか。

本日は研究室の花見。毎年の恒例行事ということで今年も震災に負けず開催。

「先生雨降っていますけど。」という意見は気にしない。

「先生、屋根はありますがここトイレの裏ですけど。」とは誰も突っ込めない。

「先生、ていうか、寒いんですけど。准教授の先生も寒くて早く帰りたいと仰っていますけど」と言いつつ1時間は耐える。だって某大手寿司チェーンの上寿司が教授のポケットマネーにより4枚も出てきたから。


その後「寒い寒い」と言いつつ研究室に戻り二次会。更に3時間は続く。


ん、待て。なぜ研究室まで寒いのだ。
研究助手の方に問うた。


「あの、エアコンに『GHPが壊れました』って出るんですけど。」
「あぁ、うちの研究室、ガス出んとエアコン使えへんで。」














GHP
=>
Gas
Heat
Pump


!!!!!!
かっこよすぎるだろ!!!!ていうか分かりづらい!!!GHPはTKG程市民権得てないだろ!!!


そんな一日、昼間から酔っ払ったので帰って寝た。
それにしても、日本人はどうも桜が好きらしい。まぁ、桜綺麗だよね。

4/20/2011

何度目かの自省。進歩はどこかに置いてきた。

今、小熊英二さんの『インド日記 牛とコンピュータの国から』という本を読んでいます。
2005[2000] 小熊英二
『インド日記 牛とコンピュータの国から』 東京:新潮社

小熊さんは現在慶應義塾大学で教鞭をとっていらっしゃる、歴史社会学者(?)です。なぜ「(?)」がつくかというと、要するに研究分野と知識が広いもので(小熊さん自身は東大農学部出身だし。)、掴み所がないからです。といってもこの本を読むまでは恐縮ながら存じ上げませんでした・・・。

本書は、小熊さんが国際交流基金のプログラムで、インドに客員教授として招かれた際の一部始終を日記形式で描いている、フィールドノート+小熊さんご自身の感想をふんだんに交えた上質のエッセイという感じの一冊です。小熊さんご自身の関心が「ナショナリズム」や「愛国」といったものにあるということで、まだまだ発展途上国であるインドの「ナショナリズム」を取り上げているところ、そしてその発展の歴史や「インド流ナショナリズム」のあり方、「インド文化」といったものを日本のそれと重ね合わせ、秀逸な切り口と視点で比較しているところが非常に面白いです。

講義をしに来ているわけですが、まー毎日毎日よく動くんです。笑 美術館に行ったり講演会に行ったり映画の試写会に行ったり農村に行ったり観光地に行ったり・・・。そして各地で見たもの聞いたものが、余すところなく考察と比較の対象になっているのが素晴らしい。「なるほど、この情報からそんなことが読み取れるのか」と思うところが多々あります。日記を読んでいて飽きないんですねー。


僕の場合、たった10日間、僅か3都市滞在でインドを感じざるを得ませんでした。しかし小熊さん(に限らず文化人類学者や社会学者)は、僕の数十倍の情報を見て聞いて体験して、それでいて自分の主観に惑わされないように情報を上手に組み合わせ、「その国がその国であること」の実態や「その国の文化」を描こうとします。ただ、上手に文化を描くためには滞在日数が長いだけではダメです。比較する材料と、文化を観察し描写するメソッドが必要だからです。この本を読んでいて、知識の有益性を改めて認識しました。膨大な知識は勉強を豊かに、楽しくし、かつ効率的に、そしてより有益なものにするのでしょう。こんな事ずっと昔からわかっているのに、進歩の無い自分に乾杯。

4/14/2011

生卵5つ飲んでみよう。

いや、今日ね。こちらの方でも某大手CD/DVDレンタルショップが再開してたので見ましたよ。































ロッキー(1976)。しかもブルーレイ。




どうせ大学も再開しないし、ロッキー全作見てやろうと思いまして。



映画ってそんなにたくさん観る方ではないんですが、コテコテのアメリカン青春ムービーは好きなんですよね。ダメダメなチームが、監督が変わったことをきっかけに強くなるも、ある時誰かが問題を起こしてバラバラになりかけて、しかし最後には優勝する、みたいな。ロッキーも(まさかロッキーがあんな孤独な奴だったという事はさておいて)青春ものの鉄板ですから、面白かったし観ていてワクワクしちゃいました!!

他の映画では、"Sister Act"(邦題:天使にラブソングを)とか、"Stomp the Yard"、"Drumline"なんかは大好きですね-。少し毛並みは違うけど"8 Mile"なんかのサクセスストーリー的なのも好きです。そして結局青春ものって、クラブ活動みたいな学園ものになることが多いんですよね。そんな意味で"High School Musical"シリーズなんかも観ててワクワクしちゃいます!笑

多分学園ものが好きなのは、アメリカの学園生活に憧れを抱いているからってのもあると思います。「キャンパスはこんな感じなんだ!」とか「こんな通学風景なのか」とか、勿論デフォルメされているにしても、一つ一つが勉強へのモチベーションに繋がっているのだと思います。

映画の中のデフォルメされた学園生活と、Facebookや友人のブログで「留学の諸先輩」から伺う実際の大学生活で、ちょっとずつ向こうでのイメージを作り上げている今日この頃。就活組は問答無用で就活している昨今、私の「受験生モード」もやっとエンジンかかりはじめたような気がします。いつもおせーんだよな。

4/12/2011

無題

なんだかんだで震災から一ヶ月が経ってしまったようです。でも7日と11日に来た余震のおかげでまだまだ地球は落ち着いていないんだなーと思いました。
7日の余震はあまり報道されていなかったみたいですけど、僕の住んでいた方はまた停電&断水したのです・・・。折角家具を元通りに整理したのに、縦揺れ一発で全てめちゃくちゃ。今後のためにと思って大枚はたいてデスクトップパソコンを組んだ2日後にこれってどゆこと?ディスプレイの上に本の山が出来て、もうね、「うわー!!!」って言いました。普通に。結局傷は出来ていなかったですが・・・まさかまた震度6強の余震がくるとはね・・・。


慰問については、一緒に回る計画の先輩から連絡が来ず、頓挫。元気づけたいと思う反面、自分一人ではよっぽど無理だと実感。それでも動くべきか、自分に動けるのか。葛藤しています。「にわかボランティア」にはなりたくない!と思いつつもその路線を走る自分がいて、でも動けないチキンがここにいて、あーいやだいやだ!!




4/01/2011

4月馬鹿になったって良いじゃない。

今日は4月1日、誰が作ったかエイプリルフールの日です。
多くの企業が毎年この機に乗じて(?)様々ないたずらを仕掛けてくるので楽しみなのですが、今年は震災の影響で自粛するところがあるようです。

そんな中、Googleが当初計画していたエイプリルフール案の代わりに、心優しい嘘をついた事が話題になっています。
GoogleのトップページにあるGoogleロゴが、コンテストを勝ち抜いた小中学生の絵でデザインされる"Doodle 4 Google"。コンテスト開催は2009年から2010年にかけての事でした。
本来ならコンテスト優勝者の"イタズラ書き(doodle)"だけが掲載されるこのイベント、今年のエイプリルフールでは、コンテストの地区代表として選ばれた30の絵が代わる代わる現れるようになっていました。


http://googlejapan.blogspot.com/2011/04/blog-post.html

このリンクのGoogleからのメッセージ、僕は最後の言葉が非常に"Googleらしい"と思いました。


『今年のエイプリルフールは、来年の 4 月 1 日に延期となります。なお、来年のエイプリルフールは再来年 4 月 1 日に延期となる予定です。楽しみに待っていてください。』





中止ではなく、延期に。言い方にも色々あると思うんですが、こうやって夢を失わせない言い方出来るのは、この企業ならではだと思いました。




・・・Googleのブログ使ってるから言ってるわけじゃないよ。笑

震災後

今日、家から15分程度自転車で走った海岸沿いを見てきました。
震災からはや20日が経過したとは言え、その光景は凄まじい物がありました。












ホント、誤解を恐れずに言えば「すっきりと」何も無くなっていました。家の土台だけがあちこちに残り、後は何も有りませんでした(いや、何でも有ったという方が正確か・・・)。200~300という数の遺体が一晩で発見されたというのも、確かに納得出来る気がしました。

「頑張ろう」とか、「みんなで団結して」とか、言葉だけではいくらでも言えるんですがね、やっぱり一度この光景を見ると軽々しくそんな事言えないと思う反面、「団結して」「頑張る」ことの重みと重要性をより一層感じます。


今日は2時間程度しか時間が取れませんでしたが、今度機会があればもっと遠くの方まで見てきたいと思います。

3/27/2011

自省

前のブログで、避難所で慰問落語をやった旨書きました。
そして大失敗した事もちょっと触れました。笑

実は、落語をやって笑いが取れなかった事って今まで無かったんですよ。
それは僕の芸が上手かったという事ではなく、以前の高座って僕が小学生の頃で、『小学生が落語やる』ってそれだけでネタになっちゃうから。そして実に9年ぶりとなるこの高座で、自分がいかに自惚れ野郎かを思い知った訳です。

今回ウケなかった原因は、他にも突然の訪問だったからとか、一人で行ったからだったとか、マイクの位置が悪すぎたとか、色々考えようと思えば考えられるんだけど、とにかくウケなかったこと自体がすごくショックだったんです。
『やったこと自体がすごいよ!』ってたくさん励まされましたが、結局自分は「自分すごいアピール」をしたかっただけなんじゃないかって思いました。いや、実際そうだったんだと思います。だから敢えて一人で行ったんだと思います。一人で行って、一人で目立って、名声を独り占めしたい。
これじゃ誰の為にやってんだか分かんない。『すご』くてどうする。名声が人を救うものか。




facebookに『落語やってくる!』って書き込んだとき、僕は確かに書いた。


――芸の巧さはともかく、「仙台にいる」「アマチュアの」「大学生が」何かやろうとすることが、避難所の支援に繋がると思うのです。


・・・大嘘だ。
いや、その気持ちがなかったと言えば嘘になるけど、でも絶対ウケる事前提で話をしていたんだと思う。だからウケないときにショックを受ける。




今もう一度、真摯に考える。
自分には、失意の底にいる人たちを笑わせる芸はない。
でも自分にしか出来ない事は何か。
それは若さとエネルギーを伝えること。
被災した仙台で、まだ「生きている」人がいるんだと伝えること。


思いっきり阿呆になってやろうじゃない。
誰かを不幸にしない限り、その価値はあると思う。



音楽で元気とお礼を 避難の女子高生が地元中学生とコンサート 那須』―下野新聞(3月26日付)
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20110326/482422
この記事を読んで、目指すべき方向はこんな感じかな、と思ってみる。

3/26/2011

ご無沙汰しておりました。普通に被災しました。

3月11日、TOEFL集中講座4コマ目終了間際の午後2時46分。
私大学構内の某ビルディング4階で授業を受けておりました。
初めはグラッと揺れる感じ。その後カタカタ・・・と細かい揺れ。
先生が"Is this building OK?"と聞くので"well, I hope so."などと脳天気な答えをしている内に揺れが一気に激しくなり、"open the door!"と先生が叫びいよいよこりゃ異常だなと思いまして・・・。

いや、ホント、文字通り死を覚悟しました。この建物崩れるだろうなーと思いましたよ。
そっからはまー今まで長い道のりでしたが、一応我が家の電気・水道は復旧しました。
それにしても家から3キロ離れたところまではもう津波が押し寄せてきていて、全く人ごとではありません。不幸中の幸い、知り合いは無事でしたが、知り合いの知り合いは今も行方不明という事があります。大きな悲しみを抱えています。


で、自分の生活はある程度復旧したので、何か出来ること無いかなぁと思って・・・小生ガキの時分に落語をやっていまして、今日避難所で落語やってきました。単身乗り込んで「たのもー。落語やらせてくれ。」って。普通にやらせてくれた。笑
慰問落語は昔少年刑務所でやった時以来でしたが、まー、(時と場合によりますが)あまり歓迎はされませんよ、ね。
深い悲しみの中にある人たちを笑わせるというのは非常に難しいものだと実感。自分の芸のまずさもあってか。


もっと色々書きたいのだけれど、纏めるのが面倒だから止めます。笑




悲しみの場所に灯された
裸電球に似た光
それはホラ吹きに毛の生えた
にわか詩人の蒼い願い

華やぐ季節が
そこまで来てるのに
相変わらず心をどこかにおいたまま

暗い目をしてたって
この星のリズムは
君に笑顔を降らすから
きっと きっと きっと


                                                                          Mr. Children 『もっと』

3/07/2011

再生・カプセルココア~思い出の中学生~

あのね。再生紙ってあるじゃないですか。今話題のエコなヤツね。

英語で言えばrecycled paperだからすぐわかるんだけどさ、中学生くらいの頃、僕は完全に「再生する紙」だと思っていました。ジャポ○カ学習帳に水をこぼしても「大丈夫だ。再生紙だから。ほら見ろ、しわしわになるだけで破れないじゃないか!」と完全にプラシーボ効果でした。

しわしわになった時点で負けだったんだよねママ。


あとさ、カプセルの薬ってあるじゃないですか。風邪薬とか。あれ、子どもの頃って「カプセル飲むなんてあり得んだろ!!!!!!!」って思いませんでした?思いましたよね。あの固いカプセルが胃の中で溶けるなんて誰が想像できますか?
子どもながら頑張ってカプセル開けて、机の上に粉をまき散らしたことって絶対ありますよね?







・・・・マシュマロココアってありますよね。ホットココアにマシュマロがトローっと溶けてエ○ゼルパイもびっくりの至福の一時を与えてくれるという飲み物。
中学の頃、当時イケイケな友人に、人生初の「カフェ」なる飲料・軽食販売所に連れて行ってもらった時の話です。
当時の僕は「カフェ」などという所詮輸入されてきた売国奴的施設には並々ならぬ興味があったのですが、まぁとにかく初めてだったのです。ドアを開けるとカランカランなんて鈴がお高くとまって鳴りやがって、白いシャツに黒いエプロンなんか着けた女性が「いらっしゃいませ」ってお出迎え。シックでおしゃれな店内はほんわか暖かなオレンジ色の光で包まれて、木の温もり溢れる丸テーブルにはカップルや若い女性が会話と恋に華を咲かせていて・・・

こここここ、これはちゅちゅちゅ中学生が入る所ではないだろう・・・・!!


などともりもりチキンっぷりを発揮したわけですが、しかし僕にもプライドがありました。
「ふぅん、これがカフェね。」とか何とか冷や汗満載でお送りしていたわけです。「カフェ慣れ」している友人はテーブルに座ると「じゃあ、これで。」なんてスマートに決めやがる。ちきしょう俺だって一人で注文くらい出来るんだぞ。知らない飲み物だって飲めるんだぞ!

ってんで害の少ないであろう、かつ名前がかっこいい(であろう)、そして人生初の「マシュマロココア」を頼んだのです。
「マ、マシュマロココアひとつ。」
・・・ふはは。どうだ決まっただろ。俺のマシュマロココア人生はここからスタートするのだと思った次の瞬間。




「ホットですか?アイスですか?」




な・・・・・・・何!?たかがマシュマロココアの注文にオプションが付いてくるなんて誰が予想しただろうか?やばいな、迷えば迷うほど焦っているのがばれる。どっちだ。どっちが正解なんだ。ホットか、アイスか、いやココアは普通子どもがホットで飲むだろう。てことは大人はアイスで飲むに違いない。ていうか結局マシュマロココアって何なんだよ(泣)

ということで「アイス・マシュマロココア」を注文。


運ばれてきたのは高さ10センチくらいのおしゃれなグラスに入った、マシュマロが「そのままの形」で浮いたココア。ココアを飲み、マシュマロを食す。うむ。これがマシュマロココアか。しかし何が面白くてマシュマロをココアに浮かべたのか。オホーツクに浮かぶ流氷の方が俺は好きだぞ。うむ。上手いことをいったな俺。

って何笑ってんだよそこのカフェ慣れ。このマシュマロココアは俺の金だからな。やらねーぞ。




何?




マシュマロココアをアイスで頼んだ人間を初めて見た?




・・・





・・・





・・・





「あ・・・あはは。
え?そうなんだ(笑)マシュマロココアってホットで頼むの?いや、ホント、知らなかったよ(笑)なんでもっと早く言ってくれないんだよ~」



などと苦しい言い訳をこしらえた後、
赤面半泣き状態で残りのマシュマロをたいらげ、
本来はもっと価値のあったろう400円を支払い、
「見栄を張るのは自己崩壊に繋がる」と実感し、
またカフェ慣れと街を放浪しに出たのでした。



そんな思い出。









何のブログとか聞かないで。笑

3/06/2011

インドという国

さて、IELTSも終わり久々に時間があるので、そろそろインドについて書きます。
インドにいたのは2月12日~20日でした。わずか9日間しか居ることが出来ず、しかも車中泊(電車)が2日分あったので、まー実際は1週間程度だったでしょうか。ルートとしては、デリー→アーグラー→バラナシという「人気観光地を回る旅」みたいになってました。
内容は"サバイバルよろしく"だったがな。


しかも1日目のGuest Houseで既に金をだまし取られたので、超貧乏旅になって最後のお土産は「日本に帰ってから払うから!」と言ってツケで買ってきました。笑 ガネーシャは交渉してまけてもらったし。ごめんね神様。


しかし、この9日間で
お金をだまし取られ
電車に乗り遅れ
電車が遅れ
発熱し
下痢と嘔吐を発症
と、まぁ「インドでよくあること」をほとんど経験して帰ってきたわけです。
唯一経験してないのは「ガンジス川に入って下痢になる」ですが、多分バラナシでガンジス川に入ったらそのまま荼毘に付されたでしょう。熱39度とかあったし。

journeyを書くとインドで見た悠久の天地のようにどこまでも続くので、感想を一言で言うと

「インドは、まだ先進国にはなれない」

ということでしょうか。
確かにインドも、デリーの一部は高層ビルが建ち並んでいますし、インド人はそもそもかなりcleverな人種です。あいつらすげー頭良いと本気で思いました。インターネットもかなり快適に使えるようにはなってきています。

その一方で、ハード/ソフト両面のインフラは整っているとは言えません。




これはデリーからアーグラーまでの道路の様子ですが、基本的にインドの交通事情はこんな感じです。「車とか、右側に近いところら辺を走ってれば良いんじゃない?」みたいな感覚なので、片側2車線道路は大体片側3車線になります。笑  多分行ったらまずhornの五月蠅さに驚くと思います。
信号とかも関係無くなるしね。ちなみに道路の建設は日本のODAが大きく貢献しているようです。インドの道路工事も見ましたが、ツルハシ持って手作業でやってました。


問題はまだまだあります。
バラナシに居たときは歩いているとしょっちゅうインド人に声を掛けられました。

「ニッポンジン!ゲンキ?ドコイク?


ハッパ(チョコ)アルヨ

怖。買わねーよ。ハッパもチョコも麻薬のことね。一日2~3回はデフォです。
更に驚きなのは、こうした売人は警察との裏取引でのさばっているということ。麻薬の所持はインドでも大罪なのですが、売人は警察に見つかると"jail or money."と言われるらしいです。つまり売り上げの一部を警察に渡すことで、元気に売買している、と。インド人に言わせると「一番儲かる商売は警察」らしいです。警察に頼るのも怖くなってくる・・・。






ゴミの問題もインドは深刻です。これはバラナシの路地の様子ですが、この狭い路地にバイク(もちろんノーヘル)、野良牛、野良犬、人がいます。みんな好き勝手にゴミを捨てますし、当然牛と犬は路地に糞をしています。
そして野良犬はゴミを漁って生活しています。


・・・ちなみに朝方は牛が大挙して

寝ています。笑 牛が3匹寝たらもう通れませんから。笑



さて、更に大きな問題。それはやはりカースト制度と貧富の差。
インドでは公式にはカースト制度は無くなったことになっています。しかし人々の心には未だに根強くカースト制度が残っているようです。インドでは「自由に職を選ぶ」事がまだ非常に難しいそうですね。iPhoneをいじる人の横で物乞いが1ルピーを要求する。渋滞で止まる自動車の群れに、子どもが一斉に寄ってきて、窓ガラスを叩いては物を売りつけてくる。それが日常風景。考えさせられる光景でした。これをどう変えるのがインドにとって良いことなのか。変える事は良いことか。良いとは何か。

・・・カーストの問題はそれだけに止まりません。
カーストは教育を阻害します。低カーストの人々は大体貧しい層になりますから、学校に行けません。そうしてまた低カーストは「再生産」されていきます。
でも近年では日本でも、「インドに学校を作ろう」というスローガンを掲げる団体が増えてきているようですね。

僕が行ったときのインドって、ホント99%くらいの人が騙してきたり、お金を使わせようとしたりするんです。でもだからこそまだ純粋な子どもたちが、5割増しくらいで輝いて見えるんですよね。笑
「この子たちが、『このまま』大きくなればなぁ」と何度願ったことか。



と、まぁこんな感じで、人ばっかり増えてまだまだ整っていないなぁと感じたわけです。
ちなみにここには書ききれないくらい驚いたことはあります。その辺は是非ご自分でお確かめ下さい。


いずれにせよ、日本とは何もかも違います。
「どこが違いましたか?」という質問より
「どこが同じでしたか?」という質問の方が有益でしょう。
そしてその質問には
「人が生活していること」
くらいしか答えようがありません。少なくとも僕が行ったインドは。

あそこに行くと、国際交流って可能なのかな・・・って少し悩んでしまいます。
是非行かれる事をオススメします。居ればいるほど世界観変わると思いますよ。
北インドと南インドではまた大きく異なるらしいし、1ヶ月くらい居ないと全体像は掴めないと思いますが。

3/05/2011

IELTS!

いやー。受けてきましたよ。IELTS。今受けているTOEFL集中講座はAmerican Englishで、僕の英語の発音も完璧にAmerican Englishなので、IELTS(English English/Australian English)はリスニングがちょっと難しい。TOEFL iBTの方が簡単に思える位・・・。

まーListening, Reading, Writing Sectionは普通・・・って感じでしたが、Speaking Sectionでやられましたね。あればっかりは運だから。


IELTSのSpeaking Sectionは、Examinerと1対1のInterview形式をとります。実際に人と話す所が、コンピュータと対峙してマイクに吹き込むiBTとは異なります。

最初にIDや名前の確認をしたあと、Section 1では小手調べに簡単な受け答え(今回は"Let's talk about science. How did you feel about science classes when you were young?")をします。
その後、Section 2では与えられたトピックに対して1分間ブレインストーミングをした後、1~2分間でスピーキングを行います。ちなみに今回のトピックは"Talk about an expensive thing(s) that you bought recently."みたいな感じでした。
Section 3ではSection 2の内容に関連した、よりabstractなdiscussionを4~5分間行います。今回は"Let's talk about spending money."から始まりました。

問題はこのSection 3でしたね。
"OK, so do you think spending money has become a leisure in Japan?"
知るかよ。って突っ込んだら負け。
"Well, yes. In a way, it has. I mean, if I compare to 40 or 30 years ago, I can say that it's become one of the leisures as Japan has become relatively rich."とか何とか答えたけど、あとは根拠も何も無い薄っぺらな受け答えを4~5分間行いました。笑
最終的に"Hmm.... I can't explain it well."(←敗北宣言)を発したしな。笑


結果は2週間後ですが、あまり期待はできないなこれは。
ただ、何が欠けているのかは大体分かりました。より高度な次元の英語力ですね。それはより抽象的な出来事を説明する能力。そしてそのために必要な、そういった出来事を説明する練習の回数とバリエーション。

・・・ふむ。図書館で勉強するネタが増えた。
今回のIELTSの収穫はこれにしよう。

3/01/2011

雑記

いやー。再び放置で申し訳ありません。ちょっとめんどくさかった色々ゴタゴタしてまして。
昨日から三週間、大学の行うプログラム、「TOEFL/TOEIC集中講座」なるものに出席しております。
朝10時から午後3時まで、TOFLゼミナールの講師たちが主にTOEFLに的を絞った授業を格安でしてくれるという胸キュンなプログラム。夏も参加しましたので2回目になります。ほとんどの授業は英語なので、日頃英語漬けになれない日本人にはありがたい。

そんなわけで(?)今週末は2度目のIELTS。まーぶっちゃけ8.0は厳しいだろうと踏んでいるので、まずは6.5~7.0を目指したいと思います。

ちなみに明日はサークルの追いコン。
・・・俺勉強する気あるのかな^^;

2/24/2011

帰国、ぶっ倒れた報告。

いやー!行ってきましたよインド!
以前のブログで、「僕がぶっ倒れたら面白いな」って書いたんですが

まー

ぶっ倒れました。



あれは7日目の事。
デリーからガンガーと沐浴の聖地ヴァラナシに着いて、知り合ったインド人や日本人とラッスィーを飲みに行った翌日でした。沐浴しようと朝6時頃(現地時間。日本時間9時30頃)起きると、少し熱っぽい。いや、結構熱っぽい。とりあえず一緒に行く約束をしていた人に報告すべく、むくりと起きて人の少ないヴァラナシへ繰り出す。

・・・もう、野犬。野犬。物乞い。麻薬を売りつけるインド人。野犬。ボートへと誘うインド人。麻薬。野犬。マッサージをしようとするインド人。麻薬。遙かなるガンガー。
野犬の怖さはさながらバイオハザード。最終的には物乞いに「大丈夫だ。おいで!」となぐさめられる始末。

なんとか友人と合流し、ボートにだけ乗って家へ帰って寝る。この時点ではお腹は壊していなかったけど、38度くらいは出てたと思われます。そして日本の風邪薬は全く効かない。噂には聞いていたが何の効果もない。
翌日朝、熱は引くも激しい腹痛と下痢。お昼頃からは再び熱。インドの薬を買ってきてもらって寝る。
更に翌日、熱と下痢相変わらず。嘔吐あり。その日も薬を2度服用し、寝ようとするも39度から40度付近まで上がったと思われる熱で寝られない。そして一人・・・。「日本に帰りたい」と本気でこぼした夜。

その翌日、熱、下痢ともに歩ける程度までは回復するも全快に至らず。でも日程の都合上帰国。



すごく辛かったです(泣)



ちなみに腹痛はまだ続いています。7日目に突入?下痢は止まりましたが・・・。
2週間続いて、5~6キロ痩せたという友人の話も聞きました・・・。インド恐るべし。
でもね、だからインド嫌いになったとか言うことはないのですよ。
これも含めてインドだし、お腹を壊したからこそ出会えた人、出来た経験、たくさんありますから。今回の旅でもまた、いろんな人と出会うことが出来たのでした。交流はこれが楽しいんだよな。



とりあえず、今日は帰国とぶったおれた報告を以てブログの再開を宣言します。
いずれ感想を述べたいと思います!^^

2/08/2011

三つ子の魂

いかん。心に余裕がない。
2年前の夏に東南アジア行ったときもこんな感じだったな。
もう仕方ないと思うんだわ。
小学校の頃は常に始業きっかり2分前に着いてたし、一回焦りすぎてランドセル忘れて登校したしな。
初めて東京まで一人で行った時は、電車に乗り遅れそうになって母親から託された軍資金(2万円くらい)をばらまきながらホームを走った事もあったなぁ。
だからきっと時間の感覚がゆっくりしたインドは、良いリフレッシュの機会になると思います。

ということで明後日飛び立ちますが、明日から家を空けるので、更新はしばらくストップです。
またお会いしましょうー!

2/06/2011

雑記

今日は昨日充電したおかげで調子が良かった。まぁ一日中眠かったのだけれどそれはいつものことだ。笑

とりあえず朝から研究計画書(恐らくインド出発ぎりぎりに終わる事が判明)を1時間ほど書き、その後フィールドワークへ。

んで、その後久々の友人と会った。
僕が大学に入って一番最初に仲良くなった外国人(ドイツ)。
2年前に帰国したのだけれど、久々に日本に遊びに来たらしく、わずかな時間だったけど会うことが出来た。2年前より英語でしっかり会話が出来て、なんか不思議な感じだった。あの頃はたどたどしい英語とたどたどしい日本語で会話していたのに。

今度は僕がドイツに行くよー!!!!!

2/05/2011

朝起きて

今日も朝からフィールドワーク!!!


の予定だったのだが、軽く12時間は寝てしまった。笑
最近寝不足が多かったからな・・・。充電だ充電。
さて、卒論研究計画書を仕上げるか。今日中にあげちゃおう。


このような考え方と行動が出来る故、ポジティブとも適当とも呼ばれるに違いない。

2/04/2011

叱咤2

本日、図書館で久々の後輩と遭遇した。違う研究室の子で、以前僕の所属するサークルのイベントに来ていた事で繋がりを持った人だった。
その子は学部留学を目指しているのだけれど、去年の暮れにあった選考にはTOEFLの点数が足りず応募出来なかったので、今年applyを目指して頑張ります!と語っていた。こういうの見ると元気出るなぁと思いながら、一通り立ち話で30分くらいアドバイス(半強制だっただろうか。笑)して別れた。
がんばれよ-。





・・・僕も大学に入った頃は学部留学を目指していたのですが、
父親が「まず、来年行くとなると金は出せない。そして今時学部留学1年行くヤツなんてザラに居るから、それなら院で2年行ってこい。それまでに援助金を少しは貯めてやる。そして学部の内は小旅行でも良いから世界を見てこい。」と発言したことにより全面撤回。
一昨年6月頃の出来事だったなぁ。

いやーその時はね、勿論その助言は正しいって思ったけど、どこか悔しかったですよ。それは。
当時は、当時の彼女も含め友人たちとTOEFLの点数を競っていた時期で、留学に向けての期待も高まっていた時期。しかもこの発言により留学を諦めて、次のTOEFLでその当時の彼女がハイスコアを叩き出してほぼ留学が確定。友人たちも冬の最終applyに間に合うよう猛勉強を始めていました。


もうね、悔しかったですよ。そりゃー自分の目標が2年間先延ばしになって、置いてけぼり喰らって、悔しかったです。

でもそれと同時にね、友達が規定スコアを突破する度に、まるで自分のことのように嬉しくなったのです。悔しさが大きかった分、ホント涙が出るくらい喜んだ記憶があります。
果たせなかった夢を息子に託す父親ってこういう気分なんだろな、としみじみ思いました。

まー、だからその子にも頑張ってもらいたいんですよね。応援したくなります。




・・・そんな友人たちも今はみんな留学中。彼らの留学準備の裏で、僕はひっそりと(いや、盛大に)悔しがっていました。さすがに留学を目標とした人たちが、留学に向かって輝いて準備しているのを見るのは辛かった。
今もその人たちが楽しんだり悩んだりするのを見ると、やっぱり一瞬辛くなる。








どんな留学でも、自分が成果出てないって思ってても、こっちはそれを外から見ることしか出来ないんだよ。1年しかないんだから立ち止まってないで進め。
動くのが得意な人なら取りあえず考えずに動けばいい。散歩でもしたら良い。
悩むのが得意な人なら24時間の間に100時間くらい考えて明日に臨めば良い。
立ち止まるのは俺に失礼だ。笑


念ずれば来る。努めれば花開く。


お前らが立ち止まっている間、俺は前に進むぞ。

2/02/2011

インドバックス

最近、タンブラーが欲しいなぁと思いまして。
やっぱタンブラーならスタバのがかっこいいなぁとミーハーっぷりを発揮しまして。
でもスタバのタンブラーと言えば「地域限定」だよなーと更にミーハーっぷりを発揮しまして。
よし、インドでタンブラー買おう!と思ったらこれだよ。

米スターバックス、インドでの出店を計画(2011年1月14日)


大いなるインドは外資系企業には厳しいのです。



ヒンドゥーの教えは何処に!!!!

わたしと小鳥とそれからインドビザとその取得手順、と鈴。

早いもので1月も終わり、2月に突入しましたね。

30日の夜からさっきまで(笑)東京でインドビザを申請に行ってきました。
結構ネット上で情報が錯綜していたので、一応書き留めておきます。これからガンガーに抱かれようとする方に幸あれ。笑
※情報に責任は持ちません。

インドに入国する際には、どのような目的・身分でもビザが必要です。
観光ビザだったら発行日から最長6ヶ月有効です。
個人の場合、ビザの取得はインドビザ申請センターで行うか、代理店(ネットで探せば沢山あります)にお願いするのが一般的かと思われますが、センターで行うのが一番安いです。ということで以下でセンターにおける取得手順をご紹介します。

※情報に責任は持ちません。

申請の方法は①直接行く②必要書類を郵送する、の2種類です。①だったら最短1日で取得、②の場合は上記サイト中にもありますが15日ほどかかるということなので、時間が無い方や申請センターに近い方は①が便利でしょう。
直接行って申請する場合、サイト中にある申請書及び補足申請書を印刷・記入しておくと対応がスムーズです(向こうでも書けますが)。補足申請書には「10年間で行かれた国(全ての国を記入)」という素敵な質問も入っています。

【申請の手順】
・必要書類(=申請書、写真1枚、補足申請書、お金(1935円ぴったり)、パスポート)を持って申請センターへ。センターの午前受付は朝9時からですが、9時前から並んでいますので10分ほど早く着くようにすると良いと思われます。午後申請は分かりません。
・センターが開いたら入って左隅にある受付カードを取る。
・センター右隅にあるモニターに、受付カードの番号と対応窓口が表示されたら窓口へ。
※窓口はA~Eの5つあります。インド人又は日本人が対応してくれますが、日本語で大丈夫です。勿論英語でも大丈夫です。
・窓口で申請書を出す。(僕の場合ではあるが)もの凄い早さでチェックされ、不備があるともの凄い早さで指摘され突っ返される。不備がないと無味乾燥にビザ代金を要求される(笑)。代金は1935円ぴったり払わないと普通に「崩してきて下さい」と言われて終わる(1935円はビザ代1200円+代行料金735円の合計)。
・払って少し待っていると名前を呼ばれるので、領収書にサインをして受領日午後5時~5時半の間に取りに行く。当然パスポートはセンターにお預け。

【受領の手順】
・受領日(午前申請の場合は申請日の翌営業日、午後申請又は土曜日申請の場合は翌翌営業日)の午後5時~5時半というシビアな時間にセンターに行く。僕が行ったのは5時05分くらいでしたが、既に20人は並んでいました。笑 でも不思議と5時半には全員終わっていました。
・申請と同じ窓口(領収書に書いてある)に領収書を出して、申請日に出した書類に不備がなければすぐにパスポートを渡され終了。お疲れ様でした。


その他細かい注意事項(主に再入国規制と失効後の再発行規制でしょうか)はセンターのホームページで確認して頂ければと思いますが、基本的に以上の手順で問題無いと思われます。責任は持ちません。

では皆様良いガンガーを。とか言って僕がぶっ倒れたら面白いな。
まぁそれもインドだ。大いなるインドの前には諦めも肝心なのだ。

1/30/2011

支え合いながら生きるということ。

大学に入学した2008年の6月から、僕は塾講師のアルバイトを始めた。
僕が入ったときは完全ブラック企業で(笑)、僕はバイトを始めた後、模擬授業の機会すら与えられないまま、「中1だから大丈夫でしょ?」という安易な理由で集団の授業を持つことになった。しかも授業当日にそれを伝えられた。笑

右も左も分からなくて、毎日毎日授業準備で精一杯。
従って生徒指導などに手が回る訳もなく、半年が経つ頃には驚異の退塾不安率を誇るクラスに成長していた。ほぼ毎月生徒が入れ替わり、はじめ20人近くいた生徒は半分ほどになった。
生徒指導が行き届いていないクラスで、思春期を迎えた生徒たちは宿題など出すはずもなく(それでも大人しい子はまだ出してくれたが)、そういった子は当然のように遅刻。当然成績など伸びるはずもなく、僕が担当していた英語の授業以外の担当者は悉くリタイアしていった。


「自分は頑張っているのに!」と思う反面「どうしたら心を開いてくれるんだ!!」と悩みまくって、
室長に相談して、同期に相談して、何度もやめようと思った。何度もやめさせて下さいと言った。

「あのクラスだけは持ちたくない。あのクラス以外なら持ちますから。」
正直に言ったこともあった。


しかしその願いが聞き入れられるなど、マイケルジャクソンが生き返ることの次に無謀な事だったらしく
他にも入れ替わり立ち替わりクラスを持ったが、(これは不思議な事でもあるけど)そのクラスだけは僕がやめるまで見ることになった。


僕がやめたのは2010年の6月。丸々2年間もち、受験生となった彼らが「いよいよ夏期講習だぞ!」という直前に諸般の事情により引退した。塾屋は「自分が大学生のアルバイトである」と公言してはいけないので、彼らにとっては意味不明な時期での意味不明な引退だったに違いない。さすがに2年も経てば僕にも若干の余裕が出てきて、彼らも少しずつ大人になってはいたが、2年前からいる生徒はどこか僕のことをなめているようで(それにしてもよく2年間ついてきたな、とも思ったが)、心配であり不安であり、何より残念だった。
向いてないんだなと思った。


そして僕がやめてから8ヶ月が経った今日、僕の後釜としてその子たちを持った同期から連絡が入った。






「来月はいよいよ私立高校の入試です。
そこで、あなたに激励のコメントが欲しいと2名の生徒から指名が入りました。」







そこには、今は7人となってしまったクラスで、一番手を焼いた生徒の名前が書かれていた。
生意気で、でも勉強はそれなりに出来たから逆に厄介で、でもきちんと夢を持って、中学生らしく人生を模索しながら、キラキラと輝いていた、懐かしい女の子の名前だった。
携帯の画面を見て、素直に涙をためてみた。本当に本当に嬉しいと思った。


僕は、決して自分のことを素晴らしいとは思わない。
誰かに影響を与えられる人間だとは思わないし思えない。

でも、教育は素晴らしい。
本気でそう思った。

そして、こんな自分でも、誰かに影響を与えられていたんだと嬉しくなって、
もう少しこの調子で生きてもいいのかもしれない、と、自分を認めてあげたくなった瞬間。

スタバにて書き留める。チーズケーキが美味しい午後。

1/29/2011

雑記

本日はフィールドワークに行き、
その後英文学のレポートを一本仕上げて来ました・・・。

人類学はフィールドワークが基本なのは以前書いたとおりですが、
本当にありとあらゆる場所へ行きます。繋がりから繋がりへ。これが楽しいんですけどね。

今日のフィールドワークは、「外国人の子どもたちが何に困っているか」を、
実際に子どもたちをサポートしている人たちで意見交換する会への参加でした。
実際に参加しつつ、観察もして、家に帰ってノートにおこす。
楽しいですが、まぁぶっちゃけ疲れる。笑 ノートとか2、3時間は普通にかかるし。
僕が卒業論文で研究の対象とするのはニューカマーの外国人たちですが、それを支援する人たちにも「支援する人たち文化」なるものは絶対あるんですね。
例えば、僕の今までの観察からそういった方には女性が多いような気がしますが、これも一つの文化です。
今日参加した人も、9割は女性でした。
ではなぜ女性が多いのか、それはこの地方だけなのか、その背景には何があるのか・・・と考え始めたら、ここをフィールドにして研究をします。僕はやりませんが、誰かやったら面白いと思います←



話変わりますけど、ふと、世界一周したいなって思いました。笑
100万円くらいあれば行けるみたいなんだけど、なんか、行く先々で仕事とかしながら40万円くらいで行けないかな。笑
大学で知り合った世界中に散らばる友人を頼ればなんか出来そうだな。
ちょっとガチで考えようと思います。
行くとしたら2012年4月から大学院に行く9月までかな。何とかなるんじゃねーかな。
誰か情報持ってたら下さい。笑

続・表面上友人

この世でたった一人。
正確には二人。
心から嫌う人がいる。
でもとても好きな人が居る。





あなたに幸あれ。



出来れば私の知らない所で幸あれ。




私はあなたと、これからも表面上友人を続けます。




でも二度と目の前に現れないで下さい。




でも背後には居て下さい。



これからも宜しく。

1/25/2011

雑記

結構前に書いたIELTSの対策本が届いたらしいので取りに行きました。
今度はちゃんと購入しましたよ。明日からTIME読んだり対策本を進めたり、後は卒論構想発表会なる儀式のために準備をせねば。



インドは、2月の10日~21日まで行ってきます。
2月9~10日は研究室の行事により県外で飲んでいます。笑
10日に帰ってきたら、その足で成田へ。
ちなみに帰ってきた翌日が卒論構想発表会です。
タレントか。

卒論構想発表会は要するに「これから一年こういう研究をしていくぜ!よろしくぅ!」という意気込みを発表する場ですね。その段階で問題に対する結論だの何だの大したこと言えるわけが無いので、別名卒論妄想発表会と言われています。でも後輩から院生、教授までいらっしゃるので雰囲気はピリピリして怖いのです。
しかし、ガンガー(ガンジス川)の偉大なる流れに抱かれる予定の私には、その頃には最早怖いものなど無い予定なのです。

「言葉が通じればどうにかなるっしょ!」的な。ね。笑

1/24/2011

雨降って地割れ

先日、文学部の教務係に、この前書いたストラテジーを実行すべく履修放棄の手続きに行った。

自分「すみません、履修放棄の手続きをしたいんですけど。」
教務「あ、そうですか。はい。」
(気まずい沈黙)
教務「え?」
自分「え?」
教務「いや、何も来てませんけど。」
自分「え?」
教務「あぁ、履修放棄は、







最初に授業の担当教授に言うんですよ。」









・・・まじすか!!!!!
あの教授が嫌で履修放棄したのに!!!!!!結局行くのかよ!!!!!!!!



しょーがねーなー。そういえばもう一つ聞きたいことが。
自分「わかりました。あの、ところでGPAについてお伺いしたいのですけど。」
教務「そうですか。」
自分「あの、GPAって、うちの大学ではどういう計算方法なんでしょうか。履修放棄は点数外というのは知っているのですけど。」
教務「あー。うちの大学、










そのGP?GPA・・・でしたっけ?GPA?出してないんですよ。」







え?
ていうかキーワードすら曖昧かよ。



皆さん。戦略は前提が大事です。しっかりと確認しましょう←

もう速攻MITに留学中の先輩に連絡。心臓バクバク半泣きの状態でfacebookに感謝しながら連絡。その先輩から仕入れた情報だったので。
で、さっき返信が来た。
「あー、それね。学部によるんだわ。うちの学部は出してくれたけど。」





そ・・・・そういうことか!くそぅ、してやられたぜ。誰も悪くはなかったのだ!





そして「UCLAの求めるGPAに足りないかもしれません。。。」と泣き言を言った私に、先輩は言う。
1つぐらい条件足りなくても、まず出してみればいい。
(中略)準備している時はすごく大きな挑戦だと思っていたけど、いざここに来て考えてみると、加えてけっこう運にも左右されるなあって思う。もちろん運を引くためにやらねばならんことはたくさんあるのだが。





・・・本当に、いい先輩に巡り会えたと思った瞬間。






ここからはガラッとテンションが変わりますがね。
「念ずれば花開く」って言葉あるじゃないですか。坂村真民さんのね。
この言葉は既に
「念ずれば、努力する。
努力すれば、応援してくれる人がいる。
念じ、努力し、応援があって、夢は叶う。」
という意味があるようですが、
そうと知らなかった私に衝撃を与えた言葉は、うちの高校の野球部のTシャツに刻まれていた言葉。



「念ずれば、来る
努めれば、花開く」



でした。今でもオリジナル版よりこっちのがしっくり来ます。笑
意味は同じなのですが、でもそういうものだと思う。
強い思いのある人は、その思い故に努力する。
強い思いのある人を見た人は、手を差し伸べたくなる。
努力し、応援され、ツテが広がり、コネが出来る。

知らず知らずのうちに人脈が広がり
チャンスが増え
実力がついていく。


思いが単純な人ほど、強かったりする。と思う。
夢が叶うまでは、めげずにいたいと思う。

1/23/2011

感動と擬音語の関係性についての私的考察

言葉に感動するとき





ってありますか?ありますよね?無ければ以下の文章を読むよりもドラえもんを読んでいた方が有益です。




ボロボロ涙をこぼして感動というわけではなく、
また「雷に打たれたような」衝撃をうけるわけではなく、

素敵な詩や小説を読んで、
今まで自分が悩んでいたことに対する解決策が書かれていた時、
或いは、自分でも「悩み」と気付かなかったもやもやの「何か」が、詩の中で「悩み」として完成されて、更にその解決策までもそこに書かれていた時。
「あー。こういうことだったのねー。」って、空を見上げてぽかーんとしたくなる瞬間。
まさに言葉が五臓六腑に染み渡る瞬間。
感動するんですよね。
日本語では五臓六腑に染み渡るとか、「腑に落ちる」と言いますよね。





ところでね。腑に落ちる瞬間って、




腑に落ちるんですから、




音がすると思うんです。笑







どんな音がするんだろう、と思うとき、僕はいつも「ぽとっ」に行き着きます。

「ぴちょっ」はちょっと撥ねすぎ。
「ぼたっ」だと重すぎるでしょ。
「どさっ」て無造作に置かれても困る。
「ぼとっ」だと何か汚い感じ。笑
「ぐちゃっ」は感動が潰れちゃって台無し。
「どんっ」小西。
「びしゃっ」はさ、雨の日でバスに泥が撥ねられた瞬間でしょう。強すぎる。
「ぱちゃっ」は落ちるっていうより、水たまりを踏んだらする音。
「ふわっ」はソフトランディングしてるよね。腑に落ちる瞬間は心が打ち震えるから違うんだよな。




心に、静かな、でも確かな衝撃を与えて、それでいて優しい音。
それは、少し粘着性のある液体が、空のコップに落ちる音。
落ちた後、表面張力できゅっと丸くなるような液体が落ちる音。


ぽとっ




で、




ふっ


と安心する。



で、




じわっ




と染みこむ。






感動だけでなく、腑に落ちる瞬間はいつでも「ぽとっ」って音がしてる気がする。



と、たまには文学部らしいことを書いてみるのだ。

1/22/2011

独白と書いてモノローグ。

まー誰しも気持ちには波があったりしますが。
ここ1週間は非常に駄目。
こうなるともう駄目なんだな。

自分を置いてけぼりにして日常が回っているような感覚。
日常を、自分だけが外側から見ているような感覚。
交わされる言葉が表面的だと感じて、感動さえも長く続かない。
泣いたり笑ったり、とにかく心の底から満足したいと思うけど、とにかく全てが表面的だと感じる。
そう感じないのはネガティブな感情だけ。心の底からネガティブになる。
誰かに話したいけど、誰にも話したくない。
話してもどうにもならないと分かってるし、話す自分が嫌いだから。
そしてまた表面で言葉を交わして、別れる。

そんな感じ。
中二病か。笑










晴れが似合う人になりたい。晴れを纏って歩きたい。むしろ服着て歩く晴れになりたい。






晴れろ。自分。














――雨の日には雨の中を
風の日には風の中を








みつをさん。まだそこには行けてないようです。

1/20/2011

帰宅途中に思った事。

なんと。
経営破綻した日航が、ついに「鶴丸」のロゴを復活させるそうですね!
鶴丸の時代の人間ではないですが、一種の「伝統」ですから。
「伝統」という言葉にはsomehow惹かれてしまいます。ソースはこちら





ところで。鳥と言えばね。
鳥インフルエンザがまた流行っているそうです。お隣韓国や北朝鮮でも流行っているそうですし、ついに福島県でも鳥インフルが発見されたそうです。口蹄疫の問題と良い、動物たちもパンデミック対策しなければいけません。犬に服が売られている時代ですから、鳥用マスクや鳥用消毒用アルコール、鳥用うがい薬も発売されるかもしれません。「鳥が鵜飼い」とはこれいかに。ソースはこちら

























日航が鳥インフルエンザにかからないと良いなぁ。

1/19/2011

話が飛ぶ。いや飛ばしたのは私。

久々の投稿。テスト勉強やら、ちょっと諸々疲れました。

今週はテストウィーク。そんな昨日火曜日の英語学概論、集中講義で欠席した一回を除いて全て出席&小テストは全て満点だったのですが、

テスト前日に切ることを決意しました。笑


アメリカの大学院に応募する場合、絶対必要になるのは
・英語の点数
・教授からの推薦状(3人分くらい)
・エッセイ
・大学時代の成績(GPA)
・大学時代の研究成果(レポートとか。)
って感じです。GPAは、4段階評価なら上から順に4points, 3points...という感じで点数がついていって、平均点が出されます。しかしうちの大学の場合、履修放棄を選んだ場合点数表に載らない(減点も加点もされない)ので、良い成績が取れないと判断したらその場で切って来年他の授業をとるというのもストラテジーの一つになります。今回の英語学概論はちょっと鬼畜すぎたので、水曜日以降のテスト勉強のために削りました。

さて今一番困っているのは推薦状・・・。自分の担当教授からは書いてもらうとして、出来れば応用言語学に詳しい教授に書いてもらいたいのだが・・・いかんせんうちは応用言語を専門にやってる人がいない・・・。言語学専修はあるけどチョムスキー派の古典的言語学なのだ。
まぁ、それはツテからツテへ、なんとか見つけてみよう。



それにしても今日は疲れた。
諸々でイライラしている所に後輩が追い打ちかけた。笑
礼儀を知らない人は好かない。

好かないけど、人を好かないと思ったときはシャドー効果を思い出して自省する。
シャドー効果ってどこかで聞いたことあると思ったんだけど、ネットでは出てこないのね。得意の自作かしらん。笑
要するに、ユングが提唱した「シャドウ」概念を応用したもの、だった気がします。人は意識の上で「自分はこうだ」というイメージを作ると、それに対立するであろう「自分のイメージ」を無意識下に葬り去ろうとする、或いは、イメージを形成する過程で「不要である」と感じたり「持っているべきではない」と判断したイメージを葬り去ろうとする、そうです。または過去に何らかの精神的苦痛を受けた結果、そのイメージを抑圧した自分が出来上がるとか、結構人によって解釈がまちまちだった気がしますが、要するにシャドウは自分と対立したイメージということですね。当然自分はそのイメージを持つ人を嫌います(抑圧しきれなかったシャドウが人に投影されるという解釈もあり)。
ユングが言っているのは、このシャドウは受け入れがたいものだけど、シャドウを受け入れて、或いはシャドウの視点から物事が見られたら、人は成長するのではないか?ということです。

で、確かシャドー効果って言うのはこれの応用で、「自分が嫌いな人の性格は自分も持っている」という効果(というより法則?)だった筈です。よって、僕はいつも人の嫌いな部分を見ると、「あいつのあの性格は嫌いだけど、あの性格も間違いなく自分は持っているのだ。じゃああの部分が表に出ないように気を付けよう。」と考えてみます。

誰のことも嫌いにならないといいなぁ。シャドウを感じなくなればなるほど、自分の性格は豊かになるんだものね。




話、飛びましたね。K点は超えたでしょう。目指せオリンピック。ばびゅーん。

1/15/2011

IELTS報告

IELTSの書類を今日送付してきました。

IELTSの場合、受験申込日を含めて4日以内に受験料(24,675円)を支払い、同7日以内にIELTS事務局に書類を送付した時点で受験受付が完了します。
僕の場合11日に申し込んで14日(ギリギリじゃねーか。)に振り込み。今日15日に書類送付したけどやべーな明日まで休日だから万が一があるなってことで速達でお願いしました。しかしJapanese Otchokochoi文化を濃厚に受け継ぐ私は、このブログを書くまで10日に申し込んだのだと勘違いしていたのです。でもまぁあれだ。マーフィーの法則ってヤツだね。違うか。

1/13/2011

教授との面談。

昨日のことになりますけど、教授に大学院の事を相談しました。
学部と分野が変わってしまうので良心的に切り出せずにいたのですが、思い切って。。。


まぁ、分かってはいましたが、快くOKされました。笑
教授自身もアメリカでMAとPh.Dとっているから、抵抗はなかったのだろうな。まさか「学部時代と分野が違うだって!?私が今まで育ててやった恩を仇で返す気か!御用だ御用だ!」などと騒ぎたてはすまい。

今までは2012年の3月に卒業して9月に渡米しようと思っていたけど、教授の「日本において学歴に「穴」が出来るのは好ましくないかもしれない」とのアドバイスにより、一旦2012年4月から文化人類学の大学院に進んで、半年経ったら2年間休学してMA取りに行くという方向になるかもしれん。
そうすれば帰ってきてから「学生」の身分で就活出来るし、取ろうと思えば日本でも修士号が取れる(文化人類学だけど。)とのこと。戦略ってすごいなと思った。

ついでに卒論英語指令のオプション付き。上等だぜ。どうせ向こうに送るわけだし。


さて。来週はテストラッシュだ。

1/11/2011

卒論研究計画書

の下書きを提出しました。来週はフィールドワークの実習報告書の発表だ。

インドは2月の半ばに行こうと思っていますー。本当なら1ヶ月くらい放浪したいのですが、2,3月は諸々の事情で10日位が精いっぱい・・・。4月以降はあまり授業もないし、スコア取って早めにどっか放浪したいな。笑



さてさて、今日我が文化人類学研究室に、「来年どこの研究室に行こうか迷っているんです!」というかわゆい1年生が見学に来ました。文化人類学専修は、社会学や宗教学と迷う人が多いのですが、やはりその子たちも迷っているようでした。僕は数学苦手だったし、もともと人と話すのが好きだったから文化人類学で迷いはなかったのですけどね。今日はそんな堅苦しいお話。


基本的に「社会科学」と呼ばれる社会学や行動科学は、「人文科学」と呼ばれる文化人類学などと仲が悪いです。笑
にも関わらずやっていることは似ているので、社会学と文化人類学で迷う人が出るわけですよね。
この二つを上手く定義するのは難しいし、研究の方法論によっては「どちらともとれる」場合もあります。当たり前ですけどやってることが似てるなら、近接領域ですからね。それでも両領域を分断して考えがちなのは、日本人の特質でしょうかね。中根千枝さん流にいえば「ウチとソト」の関係でしょうか。

話が逸れましたが、本日うちの准教授は二つの分野の違いについて、「大きな枠組みについて何か知りたければ社会学。もっと小さな視点で、人々が実際に何をしているのか研究したければ文化人類学」と説明していらっしゃいました。それも一つの見方にすぎませんが、確かに文化人類学は「観察と記述」を重視し、社会学・行動科学は「理由」を重視するような気がします。

たとえば「高度経済成長期前後の中国農村社会の変化」というテーマを取り上げた時、文化人類学者は高度経済成長期前後の期間にわたって中国の農村社会に住み、現地の人々のコミュニティに入り込んで観察を続けることでその変化を浮き彫りにしようとします。あくまで観察を重ねることで実態を見ようとするのです。これに対して行動科学や社会学は、例えば中国政府が公表している農村部の人口変化や物価の変動といった統計情報を整理/分析することでその理由を探ろうとする、或いは経済成長と離村に関する汎用性の高い理論の構築を目指します。そして統計はサンプル数がものを言うので、社会学や行動科学は結果としてアンケート調査などを行う傾向にあり、「人々の実際」を観たい文化人類学はそれを嫌いがちです。

どちらの視点も社会の実態を描くのに必要なものですし、もちろん文化人類学者が数字に興味がなく、社会学者が観察に興味がないというのも大きな(そしてありがちな)誤解です。文化人類学者だって統計情報扱うし、社会学者だってフィールドワークをします。大まかな傾向としてこうである、或いは重きを置く視点が上記のように違う、という所でしょうか。


・・・最後に、以上の分析はあくまで主観であることを付け加えて、逃げ道を作っておきます。笑 でも嘘は言ってないと思います。


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一応「アメリカ大学院留学への発展途上記録」と銘打ってある以上、何か留学関連の報告をせねば。笑
今日3月のIELTSの申し込みをしましたー。2万7千円ナリー。4日以内に振り込めというという縛りは、なんか精神的に辛いよね。報告終わり。笑

1/09/2011

ある一冊の本から~国際交流について思うこと~

今、清水睦美さんの本を読んでいます。

清水睦美
2006, 『ニューカマーの子どもたち―学校と家族の間の日常世界―』 東京:勁草書房

卒論のためにも将来のためにも必要なので。
まだ全部読み切ってはいないのでブックレポートは別の機会にしたいと思いますが、今日は本書を読んでいて思いついたことを書きます。

本書は1980年代以降国際結婚や出稼ぎなどの理由で来日移住した、いわゆる「ニューカマー」と総称される外国人のうち、小中学校に通う子どもたちを対象にした研究書です。

さて、本書には書かれていませんが、文部科学省が毎年公表している「日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況等に関する調査」によれば、平成20年9月1日現在で文部科学省が定める「日本語指導が必要な外国人児童生徒」の数は28,575人で、平成14年(18,734人)から増加の一途を辿っています(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/21/07/__icsFiles/afieldfile/2009/07/03/1279262_1_1.pdf)。

  本書は第一章で、そうしたニューカマーの子どもたちが自文化と日本文化との違いに戸惑いながらどのように日常世界を営むかを、筆者のフィールドワーク体験を基に描いています。
  著者がフィールドワークを行った2000年頃から現在まで、日本の学校の外国籍児童生徒の受け入れ態勢は、簡単に言ってしまえば「特別扱いしないことが望ましいが、言語の問題もあってそれは難しいし、その辺は配慮してあげて」という感じです。
  そうした曖昧な状況なので、結果的に「配慮」(文科省の言葉を借りれば「特段の配慮」)は日本語指導に不慣れな先生方が四苦八苦して行う、誰にとっても負担の多いネガティブなものとなります(もちろん文科省もこの事態を放置しているわけではありませんが、実態は今も変わっていません)。

  外国人児童生徒に対するサポートも十分問題ですが、本書で著者が焦点を当てているのは別の問題です。それは先生方が四苦八苦して行った「配慮」の結果「学校生活を問題なく行える」と判断された子どもたちは、途端に「特別扱いされない」生徒になることです(著者はこの「問題なく行える」状態を「やれている」状態と表現しています)。著者が問題のひとつとして提起しているのは、日本の先生方はこの「やれている」状態を、往々にして「日本語による学校生活に支障がないか否か」のみで判断してしまうことにあるとし、これを教師の「状況理解のスキップ」と称しています。
  つまり、生活言語が流暢であるからといって「勉強についていける」とは限らないわけですし(そんなこと言ったら日本人はみんな成績が同じになってしまう。笑)、生徒が先生の指示に反応しているのは、周りの生徒の反応に便乗している可能性も高いわけです。そうした外国籍児童特有の性格を見逃してはいけないということです。

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  さて、著者の問題提起とそれに対する解決はいずれ僕が書くであろうブックレポートにお任せするとして(笑)、ここからはこの問題から僕が考えたこと。
上に挙げた「特別扱いしないのが原則だが、特段の配慮も必要」という考え方、一見すると平等で当たり前のように思われます。日本人も外国人もみんな同じ人間だからーってね。
しかしそれでは、異文化で育った子どもを理解したことにはならないのです。彼らを「特別扱いしないこと」は彼らにとって「良い教育」たりえない。

理解とは何か。

以前書いた鷲田清一さんの言葉に尽きるのではないでしょうか。
「他人を理解するとは、他人は他人と認めることだ」

外国人は、どこまで行っても外国人なのです。日本人はいつまでも日本人なのです。
これは言い過ぎかもしれませんが、外国籍児童生徒に対する考えは「特段の配慮が原則で、特別扱いしない事は稀である」位で良い気がします。

ただし重要なのは、
「違うから、どうわかり合うか」
なんです。

  「彼らは彼ら。仕方ないから放っておこう」ではなく、「彼らにはこういう特徴があって、日本文化にはこういう特徴がある。ではどうやってわかり合うのか」を考える方向に。その方法を考えるのは文化人類学者(に限らず多くの分野)の大切な役目であり、また学校の先生方にもどうにかしてそうした研究の蓄積を共有して頂けたらと思います。
  僕は大学で国際交流サークルに入っていますが、よく「国際交流という言葉は嫌い!」という言葉をメンバーから聞きます。要するに「友達になるのに『外国』も『日本』も関係無いんだ!」という事ですが、僕は絶対違うと思っています。
  「国際交流」は確かに存在するし、むしろ国際交流の楽しみはそうした「文化の違い」を乗り越えた感情の共有にあると思っています。一つ一つの国が固有の文化を持っているのに、それを無視して「人間皆平等」とは言えないのではないでしょうか。



「違うから、どうわかり合うか」

この視点は、大学に入学してから僕の「国際交流」の基盤となっているのです。







1/08/2011

雑記

先日のブログに書いたIELTSの対策本が丸善に届いたらしいので取りに行った。
注文時は中身の確認ができなかったので、届いた商品を確認してみると・・・・なんとband score5.0-6.0を目標にする人用だった。


即返品。笑




ということで別のものを注文してこの日は退散。届くのは10日くらい後らしいけど、テストもあるし、その間はTIMEでも読み漁っていよう。National Geographicも読みたいなー。
2月は卒論構想発表会もあるし、少し忙しいかな。

1/07/2011

叱咤

僕に人生で初めて「この人のように生きたい」と思わせたのは、一人の女性。
同い年だけど、遠く及ばない存在。目標であり、憧れであり、良き友達(と信じたい。笑)。
いつか、色々な物事を議論できる間柄になりたい。

それまで「英語の上達が目標」だった僕に
「それは手段でしかない」と、
それまで「留学が目標」だった僕に
「そんな目標はちっぽけなものだ」と、
隠しても隠しきれない程の気合いと類い希なる行動力で教えてくれた人。
当然の如く留学してしまったが、彼女にとって留学もまた目標ではなく手段なのだと思う。
その人の生き方を見て、より広い視野で自分が人生かけてやりたい事を探せるようになった気がする。その人は全く影響与えてるつもりはなかった筈だけど、まぁ人に影響を与えるとはそんなものだろう。

いつか、「へぇ、やるじゃん」と一言言ってもらいたい人です。笑


勉強に疲れたとき、英語を話すのが億劫になるとき、考えてばかりで行動出来ないとき、その人の生き方を思い出して元気を出して、「動かなきゃ!!」と叱咤します。
実は、今の図書館の勉強スペースはその人がよく使っていたところでもあるのです。笑

do what you think RIGHT.
DO what you think right.
僕の座右の銘の一つにしたい言葉。作ったのは自分。笑 でも彼女を見て改めて胸に刻んだ言葉でもある。

さぁ3月はすぐそこだ。


1/05/2011

テスト投稿

新しいパソコンが今日届いたのでテスト投稿。asusのUL20FT(シルバー)。
もともと図書館で勉強している時に、調べ物とかレポート書いたりするために購入したものだったので、12.1インチワイドと小さめ。処理速度も今までのLaVieと比べると劣りますが、まぁ主に文書作成だし問題ない。メモリ拡張すればましになるだろ。目も少し疲れるけど、まーその辺は慣れだな。
国産にこのコストパフォーマンスは真似できまい。ふふふ。

これで勉強の能率があがりそうだ。思い切って買ってよかった気がする^^

もりみー。

先日、森見登美彦氏の『太陽の塔』を読みました。森美作品は結構好きで、結構読んでたりするのですが、これまだだったなーってことで。
氏のダメ大学生の描きっぷりが好きです。笑  でも『有頂天家族』を読んだときは泣きましたねー。


まーストーリーは読んでのお楽しみとして、本の中にちょいと興味深い発想がありまして。
主人公の友人・高藪が、作中でこんな事を言います。以下引用。


  「高い場所に置かれた物体は位置エネルギーを獲得する」
  高藪が唐突に言った。
  「それが落下するときには、位置エネルギーは運動エネルギーに変換される」
  (中略) 
  「もし精神が位置エネルギーを持つとしたら、落下するときにはエネルギーを放出するはずだ。それを利用できればなあ」


ストーリーには全く関係無い箇所だし、もしかしたら森見氏自身も特に思い入れがなかった台詞なのかもしれません。

でも、素敵な発想だなーと思うのです。自分が落ち込むその瞬間、実はエネルギーを放出している。エネルギー保存の法則が精神にも成り立つとしたら、自分の持つ精神エネルギーはハイテンションの時もローテンションの時も一定なわけです。むしろローテンションの時が一番エネルギーの放出量が大きい。


・・・一体このエネルギーはなんなのだろうか。空想めいた考えだけど、何らかの答えが出たら、自分が落ち込んだときの支えになりそうだなー。そう思って頭の片隅で最近考えています。

1/04/2011

新年

あけましておめでとうございます^^

新幹線使えばすぐなんですが、バスだとなんだかんだで12時間はかかる・・・。疲れます。
そして家に帰ると甥っ子の脅威・・・。まー自分自身が末っ子だったので、弟感覚で遊んであげるとこれはこれで楽しいですが。やっぱり疲れますわな。親ってすごいわ。

昨日は帰ってきてその足でヨドバシカメラの初売りに。
13%ポイント還元ってすごいな!とか思いながらパソコンを購入。笑←
いや、兄貴がデスクトップを安く譲ってくれるって言うから、思い切ってサブノート買おうかなーと思って。はーまたお金が飛ぶ。しかしパソコンを買えるお金があるなんてすばらしいことだ。44円で生活をしていた時期をふと懐かしく思ったりして。


今日はまだ学校始まってないし、ぶらぶら買い物をしました。丸善でIELTSの対策本を購入。さすがに洋書は高い・・・。けれどこんな時、以前先輩に頂いた言葉を思い出すのです。
自分:「先輩、勉強ってお金がかかりますね・・・。」
先輩:「はは。勉強にこそお金がかかるんだよ。」

さらっと言われた一言が、結構響いたりもするんですわな。