12/29/2010

最近思うこと。

先日のM-1、友人たちと観ました。面白かったです。でも、その後Yahoo!ニュースのコメント欄に「あの優勝はおかしい」とか「あれは漫才ではない」とか、あるいは「あの優勝はおかしいと書くことがおかしい」とか、沢山沢山書かれていました。それもかなり辛辣な言葉で。



純粋に、悲しくなりました。まぁ、いつもネットの匿名コメントを見ては悲しくなるのですが・・・ここからは最近考えたこと。

わたくし、現在大学で文化人類学を勉強しております。文化人類学は、簡単に言えば「あちこちの文化を並べて眺めたり比べたりする」学問です(あながち間違っていないはず)。笑
詳しくはGoogle先生に聞いてみて下さい。

で、文化人類学の基本的な理念の中に「文化相対主義」という考え方があります。これも簡単に言えば「文化に優劣はないよー」って考え方です。当たり前だと思われるかもしれませんが、この考えが出てくるまでは「primitive society:未開社会」の文化は、ヨーロッパの文化に比べて「遅れている」ものであり、文化は直線的に「発展」し、そのゴールが「ヨーロッパ文化」であると考えられていました(尚、現在は'未開'という言葉は差別用語ですので使いません)。詳しくは(ry

そしてこれは僕なりの解釈ですが、文化相対主義とは「その文化はその文化と認める」考え方、言い換えれば「ある文化を固有の/独自の物として認めてあげよう」という考え方だと思っています。たとえ似ている所があっても、ある文化はその文化内で自己充足しているものです。当たり前の「はず」ですよね。これって。

でも、国家間における現状は違うのです。悲しいことですが、文化は人が作るもので有る以上感情がつきもので、理論と感情は相容れない側面がありますから。



しかし、と思うのです。


文化は、人が集まって出来るのなら。
どうして文化相対主義が個人の関係に適応できない事がありましょうか。
どうして「他人は他人」と認められない事がありましょうか。
「違う意見を持った人もいるんだな。」というフィルターを通して物事を見るだけで、もっとクールでスマートな議論を戦わせることが出来ると思うのになぁ。「ふむふむ。君の意見はこうなんだね。よく分かった。で、僕はこう思うんだよな。」ってどうしてなれないんだろう。

僕の友人が教えてくれて、僕も納得したのですが「日本人は相手の意見を徹底的にたたきのめそうとする」と思うのです。ヘーゲル的な弁証法が日本には根付いていないと。
たとえばある友人と議論をしていて、「なるほど。じゃあ二人の意見を合わせてみようか」という考えは苦手な人が多いと思います。大抵双方の主張の正当性をぶつけあうような気が^^;
また、以前テレビで鷲田清一さんが仰った言葉は「交流」という要素の核心を突いていると思いました。
「他人を理解するとは、他人は他人と認めることだ。」


文化相対主義の個人間への適応と、ヘーゲル弁証法を用いることは、しかし感情的な側面と反発し合います。つまり「あの人の意見も分かるが、どうしても納得がいかない!良心的に。」という場合。これは・・・すみません今のところ仕方ないと思っています。笑
人が人で有る限り、感情の排除は出来ませんから。その時は素直にそう言えば良いんですよ。相手が自分を理解してくれるという希望的観測をもって。笑

でも、「あの人はあの人。私は私。ではどうやってわかり合おう」という考えを持つことは、無闇に感情的になる事を避ける手段だと思っているのです。国際交流も含め、人との交流はその考えを持たなければ始まらないと思うのです。この考えを常に実践できるよう、努力しなければな。

雑記

今さっき、先輩の知り合いで今イギリスに留学している方からメールが届いた。以前先輩の仲介で連絡先を教えて頂いたのです。

至極詳しくIELTS対策を教えて頂いて感動;;「Academic Writingのスキルは留学したときに重要なので、IELTSのWritingを通してそれを学んでいこう」という旨の事が書かれていて、やっぱりIELTSは(iBTもそうだけど)単に語学力を計るものさしではなく、向こうに行ってからきちんと読んだり書いたりするための訓練になるのだなぁと思った。

そう考えると昨日書いたように、こうした英語の試験は手段であり目的ではないと改めて実感。語学力「ごとき」で悩んでいては始まらないという側面と、アカデミックスキルを磨くという側面から。そしてこれは日本の受験知識が(日常生活で)時々役に立つのと似ているな。高得点を取るのは勿論なんだけど、テクニックに磨きをかけ過ぎないようにしよう。謙虚に。貪欲に。


さて、今日は風が強いが良い天気。買い物にでも出かけて、帰省の準備をしよう。

12/28/2010

おはつ

とりあえず、どれだけ続くかは分からないけど、日々の記録にと思ってブログをつけることにした。
なぜ敢えてこんな年の瀬から書き始めたのか?
それは昨日の夜ベッドの中で思いついたからです。閃きはいつも突然なのです←
ブログの趣旨は大学院までの道のりを記録しておくことですが、自己紹介にも書いたとおりアウトプットは嫌いではないので、雑記雑感なんでもござれで書いていきたいと思っております。


・・・書きたいこと、いっぱいだなぁ。とりあえず何を書こうかな。自己紹介かな。

わたくし只今のんびりと大学生をしております。
んで、卒業後アメリカの院に行きたいなぁと。そして応用言語学を勉強したいなぁと。
それには色々な理由があるのですが、それは追々。
今年ももう少しで終わりで、来年になったら3月のIELTSはすぐそこ・・・。
勉強しなきゃな、とは思いますが、あくまで英語は手段であり目的ではないことを胸に刻んでいようと思います。つまり英語の勉強に取り憑かれないようにしたいと。英語が得意で勉強し始めると、とかく英語の上達が目的になりがちだと思うのです。勿論それは英語に限りませんが。
とりあえず2月はインドに行くのです。旅をするのです。


そんな感じでぼちぼちやっていきますので、覗いたり、凝視したりしながら見守って頂ければ幸いです。