7/05/2011

ジェンダーと文化

今、「ジェンダーの人類学」なる集中講義を受けている。4年生になって授業は週1日2コマしかとっていなかったので、急に朝から4コマ連続とかになると困る。ていうか疲れる。

先生は、オープンリーゲイ(ゲイである事を公言しているゲイ)の人類学者(ご自身は「人類学者」と自称することに疑問を感じていらっしゃったようですが。笑)、砂川秀樹先生。ホームページはこちら
ホモセクシャルとはなんぞや?それを人類学的にとらえるとは?研究の歴史的な背景は?グローバル化するジェンダー論の実際とは?等々、明後日まで興味深い話がたくさん聞けそう。

性別の違いというのは、生理学的/病理学的な問題で、文化とは関係ないか?というとそうではない。特にジェンダーは「社会的性差」と訳されるように、社会や文化によって性役割が大きく異なる。「男らしさ/女らしさ」とは他ならぬ文化が規定する。ある文化は「狩猟」を最も「男らしい」と捉え、またある文化では「硬派」であることをそう捉える。その一方多くの文化で、攻撃的・好戦的な特徴が「男らしい」と捉えられる事は興味深い。

しかしいずれにせよ、もっと大きく捉えた場合ほぼ全ての文化で人間は「男と女」に分けられる。従って両性具有であったり、トランスジェンダーの人々は今まであった文化の枠組みでは捉えられない「奇妙な」存在になる。インドではそうした人々はヒジュラと呼ばれ、不可触民(untouchable)、またはそれにかなり近い存在として認識されている。

日本でもトランスジェンダー/インターセックス/ホモセクシュアルの人々は、まだ堂々と公言できない部分がある。それは日本文化においても「男でも女でもない」人々は認識の枠組みに入っていなかったからだ。でも文化が変化していくものである限り、これからの活動次第では性的マイノリティもまた文化の枠組みに入る可能性は多分にある。こうした問題は、サードカルチャーキッズと呼ばれる、「国際移動を繰り返したために、自分が何人か分からない子供たち」の問題によく似ている気がする。つまり、インターセックスが問題視されるのと同様に、インターナショナルな人々も問題視されるのである。


あ、以上の意見はとりあえず自前のものですので。誤解無きよう。


デビッド・C ポロック、ルース=ヴァン・リーケン
2010 『サードカルチャーキッズ 多文化の間で生きる子供たち』
東京:スリーエーネットワーク

0 件のコメント:

コメントを投稿