8/22/2011

追憶

奨学金の応募書類を書いていたら、「自己PRをなんでもどうぞ」という項目があった。なんか色々書いている時に、塾講時代の事を思い出したから書き留めておく。


当時、僕は自慢できるほど貧乏だった。実家の方針として仕送りは授業料のみだったし、あと何より消費癖が悪くて貧乏だった。笑

2009年12月。僕はまた極貧の状態を迎えていた。
今月分の家賃滞納。といってもこれは最早当たり前だから良いだろう。待って貰おう。携帯の料金も払えていないが、これもまぁ来月督促状が来るまでは大丈夫だ。もう少しで奨学金の振り込みだ。それまで我慢だ。我慢。
そんな事を考えながら、でも「ネタになるしいっか」とか考えながらパスタをオリーブオイル、冷凍してあったニンニクを炒めたものと和えて即席ペペロンチーノを作っていた。もう飽きたけど食材は買えないしなぁ・・・。

そんなある日、バイト先に行くと「忘年会」のお知らせが来ていた。
事務のお姉さんが「先生、忘年会が今月末にありますけど、参加しますか?」と参加の可否を尋ねてきた。僕の大好きなバイト先で大好きな仲間と大好きな飲み会だ。行きたくない訳がない。

「行きません。ていうか行けません。お金無いんで。」

即答に決まってる。こちとらとうの昔に爪に火がともってる。真っ赤に燃えた爪と家計簿を見せてやりたいくらいだ。もとより家計簿などつけていなかったが。
とにかく事務のお姉さんの優しいお尋ねを涙ながらに突っぱね、授業を終えて帰ってくると何やら職員ルームが騒がしい。実は当時塾の中でも僕の貧乏っぷりは有名だったのだが、さすがに「金が無くて忘年会に行けない」はネタになったらしい。生徒は全員帰って後はオトナの会話。
「先生、それは面白いね。」
「いや面白い。ていうか可哀想だよね。」
「これはネタだよね。ネタ。」
などと勝手な事を騒ぎ立てているうちに、当時僕に良くしてくれていた女性の先生が言った。


「募金しますか。」


冗談かと思われたその一言は、正に瞬く間に現実のものになった。すぐに、小学校低学年担当の女性の先生が段ボールを切り貼りして募金箱を作り、「○○先生を救う募金箱」と書いて職員ルームに置いた。当時バイト先には正社員4名ほどとアルバイト20名程が居たはずだが、そのほぼ全員が、「え?この箱何なんですか?面白そうですね。」とか
「ホントに募金箱出来たんだ!」とかなんとか口々に言って
10円、100円、500円、1000円・・・・募金していってくれた。忘年会の2週間くらい前の話だったと思う。

いよいよ忘年会当日になり、授業が終わった職員ルームで忘年会に出かける前、金額が集計されることになった。社員4名とアルバイト10名程がその場にいただろうか。

じゃらじゃらと音を立てて募金箱から出てきたのは、文字通り善意の塊の小銭とお札。募金箱を作った先生が数えると、金額はおよそ6000円になっていた。温かい拍手と笑い声が職員ルームに溢れた。

「良かったね、二次会まで行けるじゃん」

と、募金を呼びかけた先生が言ってくれた。
本当に嬉しくて嬉しくて、でもなんだか小っ恥ずかしくて「いやー、みなさん、ありがとうございます!!」と明るく元気に言ってしまった。ホントは涙でも流しながら言えれば良かったんだろうけど。


結局その日は忘年会の二次会まで出席して、無事年を忘れる事が出来た。当たり前の話だが、年を越す頃にはまた貧乏だったってのは内緒だ。その年は彼女と別れたばっかりだったし、元日は一人で安いニッカウィスキーを飲んで初詣に出かけたのを覚えている。



本当に良いバイト先だったなぁ。色々あったけど。貧乏だったからこそ、人の有り難みを実感できた、一生忘れることの出来ないエピソード。でも最近は少しお金に余裕が出来て、思い出すことが少なくなっていたから書き残しておく。

忘れるんじゃないぞ、俺。人は一人では生きていけない。

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