4/18/2012

エベレスト・パラダイムシフト-前編-

昨年の10月位から、留学準備と卒論に追われ始めた頃のこと。
僕の口癖は「来月には暇になるから」だった。と言ってもそれは単に自分を慰める、逃げの言葉ではなくて、その発言をした時は本当にそうだったのだ。少なくとも当時の僕はそう思っていた。

来月の中旬にドラフトを出せば・・・
来月の10日に書類手続きを終えれば・・・
来月のTOEFLが終われば・・・
来月の学会が終われば・・・

暇になる、と。そして自分のやりたい事が自由に出来る、と。そう思っていた。でも精神的に大きなプレッシャーがかかるイベントが毎月毎月降ってきて(そのほとんどは自分から飛び込んだのだけど)、いつまで経っても暇にならなかった。

結局暇になったのは先月、卒論の最終稿を出し終え、大学院のapplyも全て終え、「後は結果待ち」という状態になってからだった。
「来月から暇」を盲目的に信じ、読書を怠り、考える事を怠り、人に会うことを怠り、外に出ることを怠り、

ひたすら自分の研究と英語の勉強に没頭していた僕は、いつしか余りに大きな物を失っていた。


それは余りに大きすぎて言葉にする事が難しいけれど、
多分「日本語力」「思考力」「知識」の3つを失った為に、僕の生活全てに影響したという事だと理解している。


まず人と話さなくなり、一方で英語論文執筆というアウトプットだけを繰り返す生活で、自分の日本語力が極端に落ちた。今の自分の気持ちを適切に表す一言が出てこなくなる。
僕は人前で話す事に対してある程度自信があるのだが、それも最近難しいと感じる。

そして日本語力が落ちたことに加え、論文執筆というアウトプット生活で読書を怠った事が、僕の「思考力」低下に拍車をかけた。インプットした事を頭の中で整理し、組み立てる事に時間を要するようになったのだ。本を読んだり、人と話している時は、常にその訓練をしていると言える。本に書いてあることや人の言ったことを自分なりに纏め、解釈し、応答する。自分だけの世界に閉じこもると、それが難しくなってしまう。
これは一緒に執筆している仲間たちとお互いの論文を批評しているとき、そして後輩の卒業論文構想発表会での質疑応答で顕著に表れた。
「鋭い」質問が出来なくなっていた。

「思考力」の低下と「鋭い」質問が出来ない事は、本を読まなかった為に「知識」が無い事も影響した。
忙しくなる前の僕は、人が言った意見を、自分の知識や最近読んだ本の文言と結びつけて発言することが出来ていた気がする。しかし自分の、あまりに狭い研究分野に没頭しすぎたために、日常の出来事すらクリティカルに考えられなくなってしまっていた。いわんや学術的話題をや。


今、僕はまた本を読み始めている。人と話すようにし、人に会うようにしている。今はまだ以前の感覚が取り戻せていなくて、人より後れている気がして、悶々としているけど、少しずつ改善されてきている気がする。

勿論4月になって自分の勉強も始まったし、奨学金の応募や自分のやりたいこと、バイトの事を考えると前と同じくらい忙しくなり始めた。
だけど、「来月には暇になる」は完全に無駄な妄想であって、同時に「今やっている事」に熱中しすぎる事は大きなマイナスになることを僕はもう知っている。
時間は常に自分より前にあって、それをcatch upしなければならないとか、ベルトコンベアーの様に時間が自分の前に流れてくる、というイメージを持ってはならない。今自分の目の前にある時間の中で、やりたいこととやるべき事をやらなければならない。


そして僕が行き着いたキーワードが、「エベレスト・パラダイムシフト」だった(後編に続く)。



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