9/11/2011

まとめてブログ③

早いもので今日で震災から6ヶ月が経ちましたね。とりあえず自分には学生生活が最優先なので、勉強したり遊んだり、普通に暮らすことを目指します。

さて、まとめてブログ三部作もいよいよ最終章。
この時点での状況はこんな感じになっている。
・この日から福岡に飛び、JACET(大学英語教育学会)の50周年記念大会に出席(~9月2日)。
・9月7日に、10月30日の学会のrough draftを教授に提出。
・9月18日にTOEFL@神奈川を申し込んだ。
・9月29日に卒論中間発表がある。
・1週間前に比べると大分精神的な落ち着きがある。

以上の(ry


8月30日
人類が試行錯誤の末生み出した、鳥人間コンテストもびっくりの鉄製鳥形飛行体、エアプレーンで福岡へ。東北地方から九州までおよそ2時間弱で結ぶとは。類人猿もやるではないか。

さて、ほぼ常夏island、福岡は天神に降り立ち、14時頃ホテルへチェックイン。
その日はそのまま、18時からreception dinnerがあるとの事なので、速攻スーツに着替えて会場へ向かう。運賃は往復で500円。

まぁだがしかし、この辺が経験の差ってやつだ。
reception dinnerは完全に内輪です。気をつけましょう。教授と学会のお偉いさんしかいませんでした。来ちゃいけない雰囲気を瞬時に感じた私は、幼少の折父に教えてもらった「絶」を使い自分のオーラを消し、母が万一の事を考えて洋服の左肘に縫い付けてくれた「キメラの翼」を使ってホテルに帰った。そう、運賃は往復500円。

なお、その日は20時30分には就寝。何故なら次の日は7時起きだから。逆算して21時くらいには寝ないと駄目なのだ。


8月31日~9月2日
この期間で「本当の」学会があった。詳しく書いていると面倒なので省くが、とにかく自分の考えの甘さに気づかされた。学会に行く前に、僕がやりたいことは "language policy"と呼ばれる分野ではないか?と例のアメリカ人の教授が教えてくれたので、主に "language policy"について発表している場所に行った。そこで見聞きした問題点は、ほぼ全て僕が考えていたことだった。ただそれは僕が研究者に追いついていたというわけではなく、要するに僕の考えていたことなど研究者の間では常識だったということ。そしてそれを踏まえた上の議論が展開されていた。しかも聞き取れねーし。ショック。

ちなみにこのときguest speakerとして招かれていたメルボルン大学のProf. Lo Biancoはlanguage policyのスペシャリストで、オーストラリアのみならずヨーロッパとアジア各地の言語政策作りに携わっている方だった。例のアメリカ人の教授からも、学会に行く前にメールで"he is fantastic"と言われていたので彼が話すspeechは全て聞きに行った。僕の英語力の低さに加えて、Australian Englishが聞き取りづらかった・・・けど、とりあえず話が聞けただけで大きな収穫だった。これはメルボルン大学も視野に入れた方が良いかもしれん、と本気で考える今日この頃。

それ以外で思ったことは、稿を改めて書きます。


9月3日~6日
ひたすら勉強。しかし英語ではなく勿論rough draftの。自分が考えていたことが全て研究者の間では前提だった、とあっては、ほぼ一からのスタートに等しい。泣きながらドラフトを完成させる。

9月7日
教授と面会。苦心して作ったdraftを見せる。1分ほど見てもらえただろうか。笑


"OK, that's fine."



終了。



なんだか清々しい気分だ。こうもあっさり終わると。努力の甲斐は・・・・まぁ怒られなかっただけ良いだろう。笑
色々手直しされて、次に会う日程はまたメールで決定することになった。
運命加速中。



やっとブログが現実に追いついた。かな。

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