9/14/2011

学会に行って。思うこと。

9月の暑さでは無いと思う今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。

さて、9月2日までの学会でこてんぱんに打ちのめされたことは以前のブログを見てもらえば良いわけですが、学会から帰ってきた時点で何を考えたか、少し書こうと思います。


僕が学会に行く前に考えていた、「日本の英語教育の問題点」は研究者の間では前提条件であったことは以前言った通りだが、同時に僕が考えている「日本が目指す言語政策の方向」とかぶる意見はなかったのでほっとした。これは10月30日の学会で話そうとしていることなので、もう少し理論的なバックボーンが出来たら、このブログにもアップしようと思う。

ただ、今の時点で言える事を一つだけ。

今世界では多言語化が急激に進んでいる。Multilingual societyってやつだ。輸送網・交通網の発達によって、多くの人と文化と言語が、世界中の複数の地域に混在するようになってきている。当然そうなると、複数の言語や文化が衝突し、多くの場合文化/言語同士がmajority/minorityの関係に立つことになる。日本でも、1980年代以降急激に在留者数が増えつつある「ニューカマー」(新来外国人。国際結婚や出稼ぎで日本に来る人々の総称。)と日本人との間の軋轢が問題になっているのは周知の事実だ。
そのMultilingualism(多言語主義)と似た概念が、Plurilingualism(複言語主義)というものだ。欧州評議会(CE)で採用されているCEFR(セフアール; Common European Framework of Reference)というフレームワークに用いられている。複言語主義は簡単に言えば「『どれか一つの言語』じゃなくって、みんながいろんな言語話せたら良いよね」って考え方。既にヨーロッパでは母語+2外国語を話せる教育体制を整えつつある。Multilingualismは「社会の中に複数の言語が混在していること」、Plurilingualismは「個人が複数の言語でコミュニケーションがとれること」といったところだろうか。

学会で強く感じたが、近年このCEFRに似た議論を日本を含めたアジア諸国で広げようという風潮がある。普通に暮らしていると気づかないかもしれないが、言語政策の部分では確かにその風潮が存在する。Multilingual societyの中で複数の言語が生き残っていく方法は、Prurilingualismだ!みたいな。その考え方自体は否定しないし、そもそも肯定・否定するだけの知識が今の自分にあるかと言われればそれも微妙だ。笑

さて、この時点で考えていること。それは「英語に関する政策」と「その他外国語に関する政策」がごちゃまぜになっているのではないか、という懸念。英語という一つの外国語に対してすらその教育方針・方法が固まっていないのに、CEFRの考え方で複言語主義を推進しようとするのはまだ早すぎる気がする。CEFR的な考え方を推進しようとする人の中に、「これからの時代、英語じゃなくて複言語主義っすよ!」と言っている人がいないか心配だ。英語に関して教育方針が定まっていない日本という国には、複言語主義を根付かせる土壌がない。高校卒業しても英語でコミュニケーション取れる日本人は皆無だというのに、中国語や韓国語やインドネシア語やマレー語なら出来るという事はないだろう。

アジアにおける経済連携を優先して複言語主義が推進され、教育現場の混乱を招くことだけは避けてもらいたいと思う。


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