4/26/2011

自己紹介の続き。

先日、UCLAのapplied linguistics所属の知り合いの方(ドクターコース)から、FBを通じてメッセージをいただいた。曰く、UCLAのapplied linguisticsが、今年からTESOL(英語教授法)に力を入れなくなったとのこと。なんと学科の名前からもTESOLの文字が消えたということだった。

UCLAは僕の第一志望だったので、そこからTESOLが消えたのは結構ショック。タッチの差で遅かったわけだ。その方からは、「それでも腐ってもUCLA、権威と教授は健在。」とも言われたが、果たしてこれから(もし受かったとして)数年間勉強していく場合、その環境はどう出るか。もちろんプラスには出まい。


まだ書いていませんでしたが、僕の目標は大学院でSLA(第二言語習得理論)、特にTESOLと言われる分野を学び、日本の英語教育発展(というより自分の中では改革であり反乱。)に寄与する事にあります。これは僕の塾講師経験とサークル経験と、あと偶然の出会いから辿り着いた目標です。

まぁ、単純に言ってしまえば今の英語教育は古来からの文法偏重をそのまま受け継いでいるわけですね。だから日本人って英語使ってコミュニケーションできなくて、結果的に「留学=語学の勉強」みたいにもなってるわけです。「それでも日本人はwriting/readingが出来る」の時代はもう終わり。日本国内にも外国人は流入し、日本人は続々と海外に出て行く時代にあって、そんなガキの言い訳いつまでも使っていてどうするよ。

・・・とまぁ、ここまでは、どこぞやの大企業の社長さんが考えそうなこと。確かにこれは大きな「英語を学ぶべき」理由です。
でも僕が英語教育を変えたい理由はもう一つあって、それは英語は学ぶ「べき」であるとともに学び「たい」ものだからです。英語とは確かにビジネスツールではあるんですが、それは言わば「枝葉の用途」なんです。当たり前ですが英語の「茎の用途」はコミュニケーションであって、それをどう使うかは個人が決めれば良い。ここを勘違いしちゃいけない。
僕がやりたいのは、英語によるコミュニケーションの世界への門戸を開くこと。英語教育の基盤を整え直し、「日本人が」「英語を楽しいと」思える―正確には「シャイである日本人の性格を変えようとするのではなくシャイである日本人がシャイなままで」「英語を楽しいと思いやすい」―教育方法論を作り上げること。英語という「どこでも使える言語」を学ぶことは、音楽や絵画、スポーツと同じく最高のコミュニケーションツールであり、この楽しさを伝えない手はない。まぁ個人的には、今言ったように英語を使うか使わないかは個人で決めてほしいのですが、時代がそれを許さないでしょう。ホントは「門戸を開く」だけで止めたいんですけどね、「門に入れる」ところまで手を入れて行かざるを得ないでしょうね。

そして、SLA研究はアメリカで盛んなこと、アメリカの方が研究しやすいこと、単にアメリカに行きたいこと(笑)などから、アメリカに行きたいわけです。笑
日本で教育システムを変えるためには理論的なバックボーンと「学位」なるものが絶対必要ですから、出来ればPh.Dまで取りたいと思っております。
そんな自己紹介でした。

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