1/30/2011

支え合いながら生きるということ。

大学に入学した2008年の6月から、僕は塾講師のアルバイトを始めた。
僕が入ったときは完全ブラック企業で(笑)、僕はバイトを始めた後、模擬授業の機会すら与えられないまま、「中1だから大丈夫でしょ?」という安易な理由で集団の授業を持つことになった。しかも授業当日にそれを伝えられた。笑

右も左も分からなくて、毎日毎日授業準備で精一杯。
従って生徒指導などに手が回る訳もなく、半年が経つ頃には驚異の退塾不安率を誇るクラスに成長していた。ほぼ毎月生徒が入れ替わり、はじめ20人近くいた生徒は半分ほどになった。
生徒指導が行き届いていないクラスで、思春期を迎えた生徒たちは宿題など出すはずもなく(それでも大人しい子はまだ出してくれたが)、そういった子は当然のように遅刻。当然成績など伸びるはずもなく、僕が担当していた英語の授業以外の担当者は悉くリタイアしていった。


「自分は頑張っているのに!」と思う反面「どうしたら心を開いてくれるんだ!!」と悩みまくって、
室長に相談して、同期に相談して、何度もやめようと思った。何度もやめさせて下さいと言った。

「あのクラスだけは持ちたくない。あのクラス以外なら持ちますから。」
正直に言ったこともあった。


しかしその願いが聞き入れられるなど、マイケルジャクソンが生き返ることの次に無謀な事だったらしく
他にも入れ替わり立ち替わりクラスを持ったが、(これは不思議な事でもあるけど)そのクラスだけは僕がやめるまで見ることになった。


僕がやめたのは2010年の6月。丸々2年間もち、受験生となった彼らが「いよいよ夏期講習だぞ!」という直前に諸般の事情により引退した。塾屋は「自分が大学生のアルバイトである」と公言してはいけないので、彼らにとっては意味不明な時期での意味不明な引退だったに違いない。さすがに2年も経てば僕にも若干の余裕が出てきて、彼らも少しずつ大人になってはいたが、2年前からいる生徒はどこか僕のことをなめているようで(それにしてもよく2年間ついてきたな、とも思ったが)、心配であり不安であり、何より残念だった。
向いてないんだなと思った。


そして僕がやめてから8ヶ月が経った今日、僕の後釜としてその子たちを持った同期から連絡が入った。






「来月はいよいよ私立高校の入試です。
そこで、あなたに激励のコメントが欲しいと2名の生徒から指名が入りました。」







そこには、今は7人となってしまったクラスで、一番手を焼いた生徒の名前が書かれていた。
生意気で、でも勉強はそれなりに出来たから逆に厄介で、でもきちんと夢を持って、中学生らしく人生を模索しながら、キラキラと輝いていた、懐かしい女の子の名前だった。
携帯の画面を見て、素直に涙をためてみた。本当に本当に嬉しいと思った。


僕は、決して自分のことを素晴らしいとは思わない。
誰かに影響を与えられる人間だとは思わないし思えない。

でも、教育は素晴らしい。
本気でそう思った。

そして、こんな自分でも、誰かに影響を与えられていたんだと嬉しくなって、
もう少しこの調子で生きてもいいのかもしれない、と、自分を認めてあげたくなった瞬間。

スタバにて書き留める。チーズケーキが美味しい午後。

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